カタチが無いワタシのハナシ
可愛いものが好きだった。
ピンクのワンピースや木で出来た雑貨みたいなネックレス、
ひと昔前で言うと「森ガール」みたいなファッションも、
私は我ながら着こなしていたと思うし、
『好きなものを身に付けている』という自覚がしっかりとあった。
全部過去形である。
大変なことに気が付いたのだが、
最近自分というものが何なのか見失っている。
あの頃は「この店に行けば大抵は好きな服が売ってるからモーマンタイ!」
という服屋が2.3店舗あった。
それがいつからかなんとなく、「こんな可愛い服、私が着ても良いのだろうか」という気持ちが生まれ、そして今では「私が買う店はここじゃない」という心理的変化にまで達してしまった。
これは私としてはかなり死活問題である。
例えば私がもっと有名でテレビやラジオで自分のことを語るような人物だったとすれば、
「木ノ実最近変わったよなー。なんかつまんなくなった」
と言ってファンが減ってもおかしく無いくらい、変遷期を迎えているのである。
「好きな服を着れば良いんだよ」
「えー、別に変じゃ無いけどな」
周りの人たちは優しいので、自然とそう言ってくれるのだが、
私自身違和感というものを感じるようになった今、
最早それが最善のファッションでは無くなってしまっているわけだ。
私は自分が買い物をする服屋どころか、自分が今何が好きなのか分からないでいる。
厄介なのは、興味が無い訳ではなく、
欲求はあるのに形として答えが見えないこの状況なのだ。
買い物がつまらない。
活き活きと新しいワンピースを探しに行っていたあの頃の楽しさは一体どこへ行ってしまったのだろうか。
パズルが最後の1ピース見つからないような、
漫画が2巻だけ見つからないような、
モヤモヤと気持ちの悪い事象が起こっている。
年齢を重ねると、誰しもが通る道だろう。
だけど「歳のせい」にして放っておきたく無いなと思う。
好きな芸能人やヒップホッパーが、自分の変化に向き合って納得しているのを見ていたので、
自分も今その時がやってきたのだと思う。
問題は、歳を取ったこと自体では無くて
解決策を見つけるために時間を作っていないことである。
ファッション誌を読めばいい。
もっと新しい服屋を開拓するべきだ。
友達がどこで服を買うのか、相場が幾らなのか、
私は質問する努力すらしていない。
分かってる、なんで出来ないのかも。
だってそれらは全部、義務じゃ無い。
義務じゃ無いことをするのって、段々と難しくなっている。
先程「自分というものを見失っている」と書いたけれど
自分らしさとは、義務以外の部分で形成していくものなのだ。
仕事の制服では無く私服。
芸能人だってプライベートのだらし無さが自分らしさだったりするだろう。
毎日仕事に行って帰ってご飯を食べて寝る。
義務で固めた生活に、自分らしさを失って当然なのだ。
最近はようやく、いろんなことに対して
「このまま諦めたくないな」と思うようになってきた。
好きな服を見つけてまだまだオシャレでいたいし、
文章を書くことだって昔も今も変わらず好きだ。
だけど心に余裕が無ければ、
それを全てこなすことは出来ない。
キャパを超えた瞬間、何かを1つずつ諦めなければいけなくて、
私は一度仕事ばかり考えて、それ以外を全て諦めた過去がある。
義務以外の何か。それらは気持ちに余裕が無ければ完璧にこなすことは出来ないのだ。
自分らしさを取り戻したい。
この問題、全然解決していないので心苦しい限りではあるが、
取り急ぎ、まだ文章を書ける自分の余裕にホッと安堵した次第である。
(勢いで書いたのであんまり推敲出来てないです、ごめん!)
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