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相場が分からない

生きていると時々、『相場』という単語にぶち当たる機会がある。

「人間の大人の歯って、全部で何本あるでしょ〜うか!?」

これもなんとなくの数を当てなければいけない、立派な相場。
中学時代家庭科の授業で当てられた時、私は「18本」という壊滅的な数字を出した。
この、クラスメイトに笑われた記憶が『相場』に苦戦した最初の記憶だ。
因みに答えは32本。ほぼ2分の1である。

大学三回生の時。
インターンシップでとある広告会社に行った。
教育担当のおじさんに「新聞の広告費用は1面で何円くらいするか」と問題を出され、30万と答えてしまった。
他の大学から来た知らない同級生たちがクスクス笑っていた。
みんな、大体何円か分かるっていうのかい?
しかしまあ、今にして思えば30万って私の貯金でも出せる値段だ。
当たり前だが桁が違う。

しかし私はその瞬間、いつだって本気である。
なんなら多めに言う方が良い、と思って数字を盛って答えていることだってある。
おとぼけキャラであれば場を和ませることもできるが、一見真面目でおとなしそうな女子である私は、度々空気を戸惑わせてしまう。

昔から、物事の相場を当てるのが苦手なのだ。

常識が無い、といえばそれまでだが、他の人が持ち合わせている
「答えは知らないけど、まあ大体これくらいっしょ!」の勘が大きく外れている。
もう、外れているというか狂っている。

正直雑談でよく出てくるような相場の話(貯金とか、服の値段とか)も全然自信がない。
小さいことで言うと先輩に「俺結構貯金してるんだよね〜幾らだと思う!?」と聞かれ、「〜万円くらいですかね?」と答えたら「ごめん、そんなには無い…」と意気消沈させてしまったこともあるのだ。
あれは非常に気まずかった。
もしかして、幼少期から消えない手相のKY線のせいなのか?だとしたら今すぐマジックで線を延長しなければならない。

ふざけてるのか!?と思われるくらい外すので、クイズにして問いかけないで欲しい。小さなクイズなら構わないけれど、大きなトピックで出されると話題の軸をぶらしてしまうのだ。
何度も言うが、私は数字ボケをかましたい訳ではない。

こんなに経験をしても人間とは、否私という人間は学ばないもので、
先日友人と会話をしていて似たようなことがあった。

「人間は1日に何度も自分と内的な対話をしているらしいんだけど、大体何回だと思う?」
という、友人からの質問。
これはどう考えても真面目な議論である。
私は30回くらいかなあと思ったが、これまでの経験から首を傾げて分からないフリをした。
私が「分からない」と答えると、友人は得意げに「なんと、1万回以上してるらしいよ!」と答えてくれた。
『あっぶね〜!!ほれみたことか!!』
自分の心に問いかけている私は、すでにその一回分を使っていた。どう考えても30のはずが無かった。
なんだ、ただの阿呆である。

ちょっと考えれば分かる筈の感覚が、私には無い。
なぞなぞは頭を捻れば正解を導き出せるが、感覚というものはどうにも研ぎ澄ますことができないようだ。
勘というものは、一体どうすれば身につけることができるのだろうか。
この歳で身についてないのだから、一生得ることは出来ないのだろう。
私のような人間は、二度と相場をテキトウに答えるのを辞めるべきである。

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