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7歳、日本を離れる

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アメリカへ家族で引っ越すことになり、まずは父親だけが単身でアメリカへと飛んだ。先に転勤先での仕事を進めるのと、私たち家族が住む家を探すためだった。
単身赴任中、父から定期的に送られてくるアメリカの写真を見て、これからここに引っ越すことになるのかと、何とも言えない不思議な感覚になったことを今でも覚えている。

そんなこんなで、あっという間に渡米の日が近づいた。
大好きな小学校のクラスでは、担任の先生を含め、全員で盛大なお別れ会の準備が進められていた。今思うと、本当に良くしてくれてありがたかった。
最後のお別れ会では、クラス全員からのメッセージと写真付きアルバム、綺麗に折られた千羽鶴をもらった。涙が出た。

最終登校日の帰り道、初恋の彼と2人になる瞬間があった。
私はドキドキしながら、「これまでありがとう」と彼に伝えた。
今にも泣きそうだった。
立ち止まり、そんな私とゆっくり目を合わせ、彼も何か言いたい様子だった。しかし、その次の瞬間、飛んできたのは彼のビンタ。
私のほっぺたにキレーに決まった。
痛かったのかどうかはよく覚えていないけれど、訳が分からなくて戸惑っていた私。そして、彼も彼で、きっとどうしていいか分からなくなったのだろう。その場を立ち去ってしまった。
何か私に伝えたいことがあったのに、言葉にできなくて思わず手が出てしまったのか?今となっては何もわからない。
でも、幼すぎる2人の、別れ際の必死のコミュニケーションだったのだと思う。

それから数日後、私は母、兄と3人でアメリカへと旅立った。
7歳にして、初めての飛行機。しかも、アメリカ行きと長時間のフライトは、常時緊張状態に陥っていた私にはちょっとキツかった。
アメリカのシカゴに初めて降り立った時には、気分が悪すぎて朝食で飲んだオレンジジュースを、全部道端に吐いてしまったのを覚えている。
(お食事中の方がいたら、ごめんなさい。。。)

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アメリカでの生活は、どんな感じだったのか?
次回に続きます。

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