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自分史のはじまり〜幼少期〜

こんにちは、藤井このみです。

昨日からnoteの投稿を始めましたが、当面の私の目標は、これを毎日継続することです。
また、何かしらアウトプットの場を増やそうとnoteの投稿を始めた訳なので、毎日継続した先に、「自分史」として一冊の本みたいになったら嬉しいな〜なんて思っています。
何かを世の中に向けて発信したいという想いがそこまで強いわけではないので、あくまで歴史上の人物の伝記のように。
そして、たまたま読んでくださった誰かが、元気になったり笑顔になったりするものになったら嬉しいです。

まずは、私の歴史を遡って、藤井このみがどんな風に生まれ、幼少期を過ごしてきたのか?書いていこうと思います。

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「お兄ちゃん、どこ行くの〜?」
物心ついた頃には、私はすでにブラコンだった。
3つ上のお兄ちゃんのことが大好きで、何をするにも「お兄ちゃんと一緒がいい」とくっつき回していた。

私は、1985年の秋、愛知県名古屋市の病院にて、真面目で勤勉な両親のもとに生まれた。
後から聞いた話によると、藤井家(父と父の兄)の子供はみんな男の子だったから、「次は女の子がいい!!」と誰もが願った、待望の女の子だったらしい。色白で病院の看護師さんに「白雪姫みたいですね」と言われ、母はとても誇らしかったそう。

父親は大手の自動車メーカー勤務、母親は私が小学校に上がる頃には、自宅でピアノ教室を開くなどして仕事をしていたため、家計は割と安定しており、何不自由なく育ててもらったと思っている。
近所には、同年代の子供も多く、家から徒歩3分の公園に行けば、いつも誰かしら友達がいるような団地に住んでいた。

幼稚園に入ると、大好きな「ちよちゃん」という親友ができた。
幼稚園児ながら、リーダーシップをとってクラスをまとめるような役割を先生に任されていたことを、微かな記憶の中で覚えている。

小学校に入ると、1年生の初っ端から学級委員に選ばれた。
人望はこの時から厚い方だったのかもしれない。先生にもとても気に入られており、すぐにクラスの中心的人物になった。

そして、小学校2年生になる前には、一丁前に初恋もした。
クラスで1,2位を争うモテ度合いで、足も速いし勉強もできるイケメンだった。その初恋相手も、クラスでよく目が合うし、まんざらでもなかったように思う。1,2年生はクラス替えがない学校だったので、そのまま2年生になって一気に距離を縮めていった。

このまま彼から告白されるのでは?という感じの関係性だったと思う。
しかし、2年生の後半に事件が起こった。父親の急遽の転勤に伴い、家族で引越しすることになってしまったのだ。
しかも、引越し先は、アメリカ

まさかの展開に、当時の私は母親の前で泣いて嫌がったことを覚えている。
アメリカって怖い場所なんじゃないの?!大好きな学校のみんな(特に初恋の彼)と離れ離れになっちゃうなんて、信じられない!
そんな心境だったと思う。

あっという間に2年生も終わりを迎える頃、アメリカに発つ日が決まった。
大好きな彼との別れの瞬間と、アメリカに引っ越してからの話は、次回に続く。

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