わたしがベッドで仕事をするようになったわけ
この記事は freee Designers Advent Calendar の 16 日目です!
はじめまして!
freee株式会社でUX ResearchOpsをしているkonと申します。
ResearchOpsってなに?っていう話もあるのですが(これはまたおいおい書いてみたい)、今回はじめてfreee Designers Advent Calendarに参加するにあたっては、30代半ばにして中途障がい者となった私個人のfreeeでの働き方を書いてみたいと思います!
ベッドでしごと?
現在私はこの記事を、自宅のリビングのベッドの上で書いています。
普段のfreeeでの業務スタイルも同じく、フルリモートで、しかもベッドに横になったまま仕事をしています。
もっと言えば、自宅への往診を利用して点滴をうけながら仕事する日もあったりします。
それは決して無理をして働いているということではなく、いまの私にとってベストな環境で働き続けられている、ということなのです!
私は3年9ヵ月ほど前、freeeに入社する直前に「脳脊髄液減少症」という病気になり、長く頭をあげていられないという超絶不思議な体になってしまいました。
脳脊髄液減少症ってなに?
症状はひとそれぞれですが、私の場合は起き上がると10分ほどで頭痛・頸部痛・倦怠感などが顕著になり、歩行の際にはふらつきや平衡感覚異常、横になっていてもめまいや視覚異常・耳鳴りなどが常にあり、生理食塩水などを点滴することで症状が楽になることがあります。
それまで大きな病気などとは無縁で、健常者として中高の同級生と結婚し、子を授かり、家を買い、よりやりがいを求めて転職。
漠然と、自分はこのままいわゆる一般的な人生を歩んでいくんだろうと思っていました。
それが突然、立って歩くことはおろか長時間座っていることすら難しい状態になってしまったんです。
原因はいまだにはっきり分かっていません。
freeeへの転職が決まった直後の、まさに青天の霹靂のような出来事でした。
画面越しのバーチャルキャラ
2020年3月のfreee入社の日は既に発症して数日経っていましたが、診断がついていなかったため、そのうち良くなるだろうと気合で出社しました。
新型コロナウィルスの流行がかぶったこともあり、当時のfreeeはほとんどの社員がフルリモートだったため、入社式のあとは私も同様にフルリモートで勤務開始。
その後現在にいたるまで様々な方針変更がありましたが、私自身は一度も出社していません。
それどころか、約4年在籍していながら歴代のチームメンバーの誰とも、一度も、リアルで顔を合わせたことがないという画面越しのバーチャルキャラのようになっています・・・!
入社当時は病名の確定診断と治療を求めてドクターショッピングを繰り返していたので、度々受診で業務を中断せざるを得なかったのですが、当時のジャーマネもチームメンバーも決して踏み込んで理由を聞くようなことはせず、常に「お大事に!」とだけ声をかけ続けてくれていました。
なかなか体の不調の原因が分からない不安を抱えたうえに、入社直後に度々離席や遅刻をすることについて恐縮しまくっていた私でしたが、チームメンバーのそのブレない対応にどれほど心が救われたことか!
今となっては普通になってしまったのですが、遅刻や離席の報告をSlackのテキストひとつで完了できてしまう(リアクションもスタンプのグーのみ!)スタイルなのも、精神的な負担をずいぶんと軽減してくれました。
普通であれば「これだけ迷惑をかけてしまうのなら退職した方がいいのでは・・」と頭をよぎるところ、「迷惑をかけられている感」がジャーマネふくめチームメンバーから少しも感じなかったんです。
少しもですよ!
ジャーマネはいつも「人間である限り誰でも体調を崩すことはある。その時に業務を回せるようにしておくのは会社側の役割。konさんが謝ることではない」と言い続けてくれました。(かっこいい!!)
環境のおかげで稼働3時間→7時間に
そんなこんなでいい意味ですっきりドライ!な環境に救われながら入社後半年ほど経過したころ、ようやくいまの病名の診断がつきました。
病名が確定し、横になっていることで症状を軽減できると分かってからは、ジャーマネに状況を共有して働き方を相談させてもらい、それまで無理をして座って行っていた作業を横になったままで行うようになりました。
体調が楽になった分業務効率は格段にあがり、この頃から受けられる案件数がぐっと増えていきました。
またオンラインで行うミーティングなどもカメラをオフにしてマイクのみで参加することを了承してもらったことで、それまでよりも気軽にミーティングを組めるようになり、それぞれの案件への理解がより深まるきっかけに。
ミーティングへの気負いが減った分チームメンバーとの交流も気楽な気持ちで参加できるようになり、それまでは欠席がちだったチームビルディングのランチやお茶会などにも顔をだしてコミュニケーションを深めることができるようになりました。
ほとんどのメンバーが出社して物理参加するなか、リモート参加の私には別途自宅に郵送でおやつを手配してくれたりも!
出社して顔を合わせることができなくても、「仲間である」ことを実感できるとてもありがたい時間でした!
こうして少しずつ仕事環境が変化していった結果、freeeに入社した2020年3月当初は1日3時間の雇用契約だったのが、私にとっての働く環境が整っていったことで受けられる仕事の幅も量も増え、現在では1日7時間のほぼフルタイムで働くことができています。
これって、本当にすごいことなんです!
脳脊髄液減少症は特に座位や立位を保持することが難しい病気なので、単純にデスクワークであればOKということもなく、働く機会が極端に少なくなってしまいます。
実際に、同じ病気を患っている方々は働きたい気持ちがありつつも、泣く泣く離職せざるを得ない状況になってしまっている方が大勢います。
私がこの身体でほぼフルタイムで働いていることを知ると、同病の患者さんはもちろん、医師や看護師さんにもとても驚かれるんです。
働きたい気持ちや、環境さえあれば発揮できるスキルがあるのに、それが叶わない。
それがこの病気になってしまった多くのひとの現実だし、日本の現状でもあると感じています。
そしてこれは脳脊髄液減少症に限らず、その他の病気や障がい、個々それぞれが抱えている様々な事情のうえでも言えることだと思うのです。
聴覚障がいのあるメンバーとの協働
ところで、freeeのResearchOpsチームは私ともうひとり、聴覚障がいのあるぶらっくさんというメンバー2人で構成されています。
ぶらっくさんは耳が聞こえないので、普段のコミュニケーションはもっぱらSlack上でのテキストコミュニケーションです。
初めのころはGoogleMeetでオンラインミーティングを繋いでみたり、ドキュメント上で筆談をしてみたり、UDトークというアプリを利用してみたり、どうすればお互いに負担が少ない状態で必要な業務をこなせるか、様々な手段を試してみました。
ぶらっくさんとの協働のはなし、元チームメンバーnikoさんの記事はこちら。
出社や顔出しでのオンラインミーティングができない私と、手話と筆談を主なコミュニケーションツールとしているぶらっくさん。
一見するとスムーズなコミュニケーションは困難にみえますが、そんなふたりのベストなコミュニケーション方法を探り続けた結果、Slackが一番気軽で密なコミュニケーションがとれると判断し、いまにいたります。
とても気さくで明るい性格のぶらっくさんには、Slack上でもよく冗談を言い合って笑わせてもらっています。
文字でしか伝えられないからこそ、少し時間をとって丁寧な文章を心がけたり、誤解されやすいような感情の部分は絵文字などを活用してニュアンスを伝えられるように、私なりに努力していますし、ぶらっくさんも同じように私とのコミュニケーションのために努力してくださっていると感じています。
〇〇だからできない、〇〇じゃないとできない、ではなくて、できるようにするためにどうするか?を真剣に考えて実行していける環境がfreeeの土壌にはあるし、それによって「社会の進化を担っていく」ことを障がい当事者としてこれからもっともっと体現していきたいと思っています。
働けるということの意味
今夏私は、3年半の症状固定を経て身体障がい者手帳の交付を受けました。
外出は車椅子なのでひとりでは出来ないし、1日のほとんどをベッドの上で横になって過ごしています。
そんな私にとって「働く」ということは、金銭的なことや生活の安定以上に、「社会の一員である」という実感や「出来ることがある」という生きることへのモチベーションを与えてくれる、とても大きな意味をもつものです。
まだ小さい子どもたちはいつも
「ママちゃんは病気だけど働いていてすごいね。頑張ってるね!大きくなったらfreeeで働く!」
と言ってくれ、家事や育児が思うように出来ない私という母親像とそのほかのお母さんたちとの違いに常に触れながら、「当然みんな違っている」ことを前提に様々なことを感じ成長してくれているように思います。
私がこうしてfreeeで働き続けられている裏で、ジャーマネやチームメンバー、労務の方々や関わってくれているfreeersの皆さんがきっと、たくさんの試行錯誤を繰り返してきてくれたはず。
闘病中であったり障がいのあるひと、そのほか様々な事情を抱えるひとがみんな「当たり前に」理解やサポートを受けられるといいなと思う反面、それらを与えてくれるひとたちへの感謝も忘れない自分でいたい。
それ自体は病気でも病気じゃなくても、障がいがあってもなくても、色んなバックグラウンドをもつ人と人がお互いに思いやりや想像力をもって接する必要があることと、なんら変わりはないと思うから。
おわりに
現在はfreee全体の出社方針もかわり、コロナ禍のフルリモートを経て過渡期を迎えていると感じています。
freeeも私自身も変化を繰り返しながら、いまもずっとベストを探し続けています。
ひとつの結論で満足することなく、試しながら、時には失敗しながら、常に進化を続けていく。
そんなfreeeだったからこそ、ベッドのうえで働き続けるといういまの自分が成り立っています!
これからは、これを「限られたひとだけのラッキー」ではなく、必要なひとに満遍なくいきわたるような社会に、日本に、変えていく必要があると強く思う今日この頃です。
明日はわたしの現ジャーマネ、awaさんの登場です!
当時のジャーマネから代替わりしても変わらぬスタンスでいつも毅然と導いてくれるawaさん。(大感謝)
こだわり強めのワールドが楽しみですね!