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005 モーツァルト『コシ・ファン・トゥッテ』

私がオペラを聞き始めたのは小学校低学年の頃。買い与えられたモーツァルトの「魔笛」のビデオを妹と2人で見ながら、キラキラした舞台、のたうつ大蛇、美しいドレスに魅入られていました。そしてその観客席には重厚な赤いビロードのカーテンの付いた部屋が何段も連なって、着飾った人々が同じく舞台に見入っている。
けれども歌は、それらを凌駕して私を夢中にさせました。
パミーナの悲しげで美しい歌、可愛らしさそのもののパパゲーナの歌、見事に調和した三重唱を繰り広げる3人の女たち、そして何と言っても夜の女王のアリアの信じられないような技工と華やかさ。
真似をして歌うようになるのにそう時間はかかりませんでした。私たちは順番に聴きたいオペラを選び、重唱して楽しむようになったのです。その後の人生でも、歌うことは私の特別な楽しみであり続けています。
一方で、幼い頃から当たり前のように生活に溶け込んでいたこれらのオペラは、音楽としての側面以外を削ぎ落とされたものでもありました。私たちはこれらの劇の筋を完璧に覚えていて、ドイツ語もイタリア語も全く分からないにも関わらず、このアリアがどの人物のどんなセリフなのか、このレチタティーヴォが何を言っているのか、すぐに言うことができました。けれど、どの物語も荒唐無稽なもの、もしくは全く共感のできないものに過ぎず、大好きな音楽の「添え物」でしかなかったのです。
それが少し形を変えて見えたのは、私が大人になってからのことでした。いくらかの人生経験のおかげでしょうか。それまで自然に受け取っていた音楽が、物語の中で翻弄される登場人物の感情によって、いかに美しいものに昇華されているかに気付いたのです。そしてそれは、登場人物自身の境遇が切実であればあるほど高いものになり、それがいかに陳腐であるか、また私がそれに共感できるかどうかは全く関係なく胸を打つのです。
このことに本当に気付くきっかけになったのが、今回テーマに選んだ「コシ・ファン・トゥッテ」でした。
このオペラのビデオは、当時見ていたオペラの映像の中で一際美しいものでした。フワフワとした上品なドレスと美男美女が演じる登場人物たち。舞台ではなくセットを用いてまるで映画のように撮られた凝った映像群。
一方で、物語そのものは男女の惚れた腫れたに終始するばかりで、他のオペラ同様、大して心惹かれるものではありませんでした。
ところが今改めて見たとき、この喜劇はどこまでもよくできた芸術作品なのです。

この作品の登場人物は6人のみで、比較的少ないものです。けれど、この6人は無作為に作り上げられたわけではなく、それぞれが必要不可欠な役割とキャラクターを持っています。まず、彼らは3つのグループに分けられます。
一組目は美人姉妹のフィオルディリージとドラベッラ。彼女たちにはそれぞれ軍人の恋人がいて、一途に彼らを愛しています。一方彼女たちの恋人である二組目のフェルランドとグリエルモ。彼らも恋人に夢中で、そして彼女たちの一途さを信頼しています。そこに現れるのが三組目、ドン・アルフォンソとデスピーナの2人。この2人は老獪でユーモラスなキャラクターで、この恋人たちのお互いへの盲信をからかい、わざと波風を立てるよう振る舞うのです。そして恋人たちは、この賢く人生経験豊かな二人組に、まるで道化のように最初から最後まで翻弄され続けます。
まず物語はこんな場面から始まります。地位のある友人ドン・アルフォンソが、男たち2人に、女というのがいかに不実な生き物なのかを説き、彼らが激昂するのを宥めながらある賭けを持ちかけます。それは、男たちが戦場に発ったように見せかけた後、悲しみに暮れる女たちを別人に変装して誘惑させる。そして1日で彼女たちが心変わりすればドン・アルフォンソが勝ち、操を守り通せばフェルランドとグリエルモの勝ちというものでした。青年たちはすでに勝利を確信した歌を歌い上げますが、ドン・アルフォンソとその協力者となる女中のデスピーナの揺さぶりの数々、そして突然現れた異国の男たちの魅力に、女たちは次第に篭絡されてしまい、たった1日で結婚式を挙げるまでになるのです。そして何食わぬ顔で帰ってきた恋人たちから剣をかざして脅しつけられる…。
この理不尽な物語に、当時の私は全く共感できませんでした。実際、騙されて殺されかけた姉妹2人が可哀想だというくらいの簡単な感想しか持っていなかったのです。そんなふうに、私にとってこのオペラは長い間、単なる音楽に過ぎないものでした。
けれどある時ふと、その筋書きをなぞりながら聴き直したこれらのアリアや重唱は、これまで知らなかった美しさに満ちていました。物語の側から眺めたとき、その音楽は彼らの心からの言葉として、新しい顔で響いてきたのです。
死地へと恋人を見送る、祈りに満ちた三重唱。悲しみから一時開放され、新しい恋に浮き立つ軽やかな二重唱。誘惑に打ち勝てないであろう自分を知った後の、恋人を追って戦地へ赴こうという、静かで悲壮な決意。そして、恋人に裏切られた男の荒ぶような苦しみと怒り、それでもとうとう捨てることができなかった愛。そして驚くべき優しさに満ちた許しの音楽。
モーツァルトにとって音楽は、もはや言葉も同然だったに違いありません。優れた小説家が小説を書くように、彼はあらゆる人物や感情をその音楽で表現できたし、そこから生み出されるあらゆるものを、音楽という極上の調和に包み込むことさえできたのだと思います。

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