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003 万年筆の話

この間、こんなことがありました。
仕事のメモ用に使っているボールペンのインクがなくなりそう、ということで、商品を買ったお店にリフィルを買いに行ったのです。ところが、行ってみたらそのペンはすでに廃盤になっていて、リフィルももう売っていないとのこと。
高級ペンでもない安くて安っぽいペンでしたが、半透明の赤い本体がかわいいし、使うにも軽いし気に入っていたんです。その分、こんな形で使えなくなることがあるのか…とがっかりして帰ったのですが、そんな時ふと思い出したのが昔買った万年筆でした。

万年筆というと、人によっては古臭くて不便というイメージを抱かれるのではないでしょうか。実際、文具市場は気軽で便利なボールペン、そしてシャープペンシルが、そのほとんどを占めていますよね。
ところが万年筆、実はそう捨てたものではないように思うのです。
今日は、私なりに万年筆を語る回にしてみようかなと思いますので、暇な方は少し読んでってください。

万年筆とはボールペンやシャープペンシルが発明される前までは、鉛筆と並ぶ日常の文具でした。
万年筆の前には、人々はペンをインク壺に浸して書き、また浸し、書く、という面倒な手順で字を書くしかなかったようなので、本体の中にインクを貯留することで長い間書き続けられる、という万年筆の発明は、かなり画期的だったはずです。
また、その仕組みは単純で、金属製のペン先に細いスリットがあり、そこを伝ってペンの先端、そして紙までインクが供給される、というものです。
この仕組みにより、均一にインクが出て、筆圧をかけずに文字が書ける、という万年筆の特長が実現されているのだそうです。
そして、さらなる改良を経て、丈夫で使いやすい万年筆が市場に出回るようになり、入学祝いや入社祝いの定番品となり、サラリーマンがみんな胸ポケットに入れているような時代もあったわけです。
なので本来、万年筆とは日常使いに耐えるように作られている文具、と言えるのではないでしょうか。

ということで、実は意外と特別な文房具ではないですよ、というお話をしたのですが、実は考慮しないといけないデメリットもいくつか存在します。
まず1点目は、油性インクが使えない、というところですね。
万年筆は機構上、ある程度粘度の低いインクでないと使えないという欠点があります。つまり、油性ボールペンのインクはあのネバネバした性質のため、万年筆には使えません。また、万年筆を手入れをする際には水洗いするのですが、水で溶けないインクを使ってしまうと、いざインクが詰まってしまった際に自分で除去できなくなってしまいます。
そして2点目としては、筆圧をかけられないという点です。
筆圧をかけずにさらさら書けるというのは、よく言われる万年筆のメリットなのですが、その反面、複写式の用紙への記入などの、筆圧が必要な際には、逆にデメリットになってしまうのです。
つまり、紙以外の素材やカーボンコピー用紙に対しては万年筆では対応できず、別にボールペンやサインペンを持っておく必要がある、ということになってしまいます。

こう聞くと、それならボールペンだけでいいんじゃない?と思われるのではないでしょうか。答えとしては、本当に全くその通りです。必須かどうかと言えば、万年筆は決して必須ではありません。
では、万年筆を普段使いするのは無意味か、というと、実はそうではないのでは、というのが、遅ればせながらこの回のメインテーマです。

万年筆には、色んな価格帯、デザイン、素材のものがあります。私の持っているもののように黒と金のシンプルなものもあれば、漆塗りの10万円以上する高級品もあります。また逆に、カラフルなプラスチックの万年筆が1000円や3000円で売っていたりもします。どれもそれぞれにこだわったデザインで個性があり、その中から自分の大切な1本を選ぶというのは、なかなかドキドキする体験です。ある程度のものを買うとなると価格は10000円前後以上、と少し高くなる、という事情もあるでしょう。
するとその結果、自分の万年筆に対して愛着がわき、使い捨てのボールペンを使うよりはるかに長く、大事に使おうという気持ちになりやすい、と思うのです。
そうすると、用もないのに何か書きたくなりますよね。すると、日記をつけ始めたり、モーニングページを書くようになったり、勉強をしてみたくなったり、新しい習慣をつけるきっかけになったりします。
また、文字を書く機会が減り、簡単な漢字も書けなくなっているなーと思いつつそのままだったりしませんか?私もそんな気がしつつ怠けていた一人なのですが、万年筆を使い始めてから思いついたことをノートに書き留めることが増え、少しずつ漢字の感覚を思い出している気がします。
それに、文字を書くという作業は、キーボードで文字を打つより脳の活動量が多くなるそうです。また手書きのほうが長期記憶に残りやすいとか、色々色々、、
こういった説の信憑性がどの程度かは分かりませんが、勉強の時の書き取り練習が効果があるのは体感としてある方が多いのではないでしょうか。
こんなふうに、脳科学者的に言う『手書きは脳によい』というような説はたくさんあります。ボールペンよりさらさら書けるので、思考を止めずに書き続けられるという話もありましたね。確かにそんな気もします。

また、万年筆特有の楽しみとして、インクを選び、人によってはコレクションする、というものがあります。あいにく私は、大量に入っていて割安だという理由で買ったPelikanのブラックインクしか持っていませんが、気分に合わせて文字の色を使い分けたいというような方にとっては、無限に近いようなインクの世界は魅力的だろうと思います。
私も、買いはしないものの、文具店やおしゃれなステーショナリーショップに入ると、ついついインクのボトルを眺めてしまいます。ボトルデザイン自体がおしゃれなものも多く、ちょっと古風なインテリアとしても楽しめるのが、ボトルインクのよさでもあります。
そして、一番最初に書いた、リフィルがなくなると使えなくなる問題。こちらもこのインクの豊富さが解決してくれます。そう、インクには規格がないのです。だから、もしPelikanが倒産してしまっても、他社のブラックインクを買ってくればいいわけです。ですから、ペンメーカーが全て倒産しない限りは、インクが手に入らなくなることはないでしょう。

私の感じる万年筆のメリットの主なものはこの通りです。漂う懐古主義やロマンティシズムにうんざりする方や、これでは不便をカバーするほどのメリットにはならない、と感じる方もいるかもしれません。ある人には確かにその通りかもしれません。ただ、タイピングやスワイプでばかり文字に触れるようになった私たちにとって、書くこと、もしかしたら考えること、について再確認するツールになるかもしれないと思ったりもします。あまり特別に考えず、普段のちょっとした書く行為と一緒に取り入れてくれる方がいれば嬉しいな、と思っています。

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