だから、神様なんていないから③
夕立の直前、アスファルトの道路から、学校のプールを思い出すのはなぜだろう。やはりあの匂いが原因なのだろうか。学校のプール独特の塩素の匂い。匂いを記憶で覚えているなんて、まだまだ若い証拠ですね、ははっ。
ところで、先ほどから私の横でおじいちゃんが、誰もお願いしていないのにも関わらず、ずっと話を続けているのだが、一体いつになったら終わるのだろうか。
「気づいたら、退職金2000万が100万になってたよ。やっぱやるもんじゃないねぇ〜」
いや、だから聞いてないから。このおじいちゃんは最初、本を探して欲しいと声を掛けてきた。本をすぐに探し出し、渡すと、そこから長話が始まった。最近、娘が会いに来てくれないという話を皮切りに、なんやかんやあって、株で失敗した話にたどり着いた。いや、ほんといつになったら終わるの、この話。
「山ちゃんはダメだよ、株なんてやったら。絶対に損するから。」
「そうですね〜、やらないようにします」
明らかな棒読み返事だったが、まあいいだろう。ていうか、いつの間にか山ちゃんってあだ名、付けられとる。いくら私の苗字が山下だからって、簡単に名付けるなよ、初対面だぞ。それにしても、いつになったら・・・
プルルル、プルルル!!
私が、どうやってこの会話を断ち切ろうか考えていたとき、不意打ちの電話が鳴った。よし、これだ。
「すみませんお客様、電話のほう失礼します。お会計は1階になりますので、奥のエレベーターからお降りください」
そう言って私は、おじいちゃんとの会話を無理やり中断した。私が受話器を取ると、おじいちゃんは、少し名残惜しそうにしながら、その場を去っていった。
「お電話ありがとうございます。【シュリン堂書店 池袋本店】5階の山下がお受けいたします」
「おつかれさま」
声の方へ顔を向けると、先ほどまで時代小説の棚を整理していた相沢さんが、少しニヤつきながら近づいて来ていた。
「相沢さん〜、あのおじいちゃん全然帰ってくれないんですよ。お客様に、普通の会話で30分も捕まったの初めてですよ、私」
「ああいう客はね、本を買いに来てるんじゃないの。お話をするついでに、本を買いに来てるの。きっと寂しいのよ」
「それ言われちゃうと、なんも言えなくなっちゃうじゃないですか」
やっぱ年寄りって寂しい生き物なんだな。ごめんよ、おじいちゃん。次来たときは、もっと話し聞くね。
「相沢さんも、ああいう客に当たったことあるんですか?」
「あるけど、すぐ断ち切るわね。長話なんて面倒だし。」
「まじすか、全然優しくない・・・」
どうやら相沢さんは自分に正直な人らしい、改めてそう認識した。
相沢さんとの会話を終えると、文芸書の棚に向かった。今日届いた新刊を棚に並べなければならない。本屋に届く新刊には大きく分けて2種類ある。協定品か、非協定品かだ。協定品とは、発売日が正確に定められた本のことであり、基本的には前日の夜か、当日の開店直前に本を並べる。それに比べ、非協定品は、正確な発売日が定められていない。書店に本が届き次第、棚に並べていいため、店によって、多少なり発売日に誤差が生じる。なので、お昼や夕方に新刊が出ることもある。
「新刊はどこだ」
乱暴に投げられた言葉の主を見ると、70代くらいのおじいちゃんが、しかめ面で立っていた。
「なんの新刊でしょうか?」
「文庫だよ。いちいち聞くな、そんなわかりきってること」
なるほど、そうですか。いちいち聞くなと。
「何様のつもりだよ。客だからっていい気になってんじゃねえぞ。そんな偉そうな事言うんだったら自分で探せや。こっちだって暇じゃないんだよ」
このように言いかけたが、なんとか声にださないようにした。
「はい、それではご案内いたします」
文庫の新刊コーナーへ案内すると、私は一礼して、すぐにその場から離れた。あのじじいは危険だ。直感でそう判断した。これ以上関わっても、気分が悪くなるだけだ。まったく、あんな態度の悪いじじいを相手にするくらいなら、さっきの長話おじいちゃんの相手してたほうが、ずっとマシだわ。そう思いながら、文芸書の棚整理へと戻った。
「おい、本がないぞ」
つい5分前にも聞いた声に、自然と身体がだるくなったのを感じながら反応する。
「はい、どの本でしょうか?」
「新刊なのになんで置いてないんだ」
いや、だからどの本だよ。
「申し訳ございません。それでは、こちらで探させていただくので、本のタイトルを教えていただいてもらってもよろしいですか」
「東京創元の本だよ、タイトルなんて知るか。自分で調べろ」
自分で調べろ。そですか、なるほど。
「だから、お前は何様のつもりだよ。書店員を舐めてんのか?新刊なんていくつも出てるんだから、タイトルがわからなきゃ、探しようがないだろ。私は本の神様じゃないんだよ。そんな悪態つくなら自分で探せや、ボケ」
またもなんと心の声で抑え込む。はあ、しんど。
「新刊がいくつか出ているので、タイトルがわからないと、こちらでは探せないのですが・・・」
「ったく、使えねえな。これだよ」
じじいにそう言って渡された紙をみると、東京創元の新刊一覧が印刷されていた。そして、その中の一冊に、赤マルがされていた。
「この赤マルの本をお探しですか?」
「そうだよ、さっさと探せや」
いや、なら最初からこの紙見せろや。
「確認してまいりますので、少々お待ちください」
そう言って、私は新刊コーナーへと向かった。何度か確認したが、探している本は、確かにここにはない。急いでパソコンで在庫の確認をしようと思ったのだが、なんと本の情報がなかった。在庫なしならわかるが、情報がないのはおかしい。少し戸惑ったが、こういうときは相沢さんに聞こう。そう思って、急いで相沢さんに声をかけた。
「この本なんですけど、新刊に置いてなくて、パソコンに情報も入ってなかったんですよ。何でかわかります?」
「あ〜、東京創元か。もしかしたら、まだ発売日前かも。あそこ、その月の新刊を2回に分けて出すから。ちょっと待ってね」
相沢さんはそう言って、出版社ごとの新刊発売日が書かれた紙を取り出した。それを確認すると
「ほら、発売日来週だ」
「ほんとだ・・・」
さすが相沢さん。頼りになる。私は急いで、あのじじいの元へ向かう
「お客様、大変お待たせいたしました」
「遅いんだよ、いつまで待たせるんだ」
ほんと態度悪いな
「申し訳ございません。それで、お探しの本ですが、こちらまだ発売されていない本になります。ですので、本日購入はできません」
「はあ、何言っているんだ!!新刊はこの間発売されただろう、嘘をつくな!!」
言いながら赤マルがついた紙を見せてくる
「こちらの出版社は、月に2回、新刊を出しておりまして、お探しの本の発売は、来週の発売になります」
「なんでそんなことするんだ、ふざけるな。わざわざ本屋まで来たんだ、なんとかしろ。」
いや、知らねえよ。それは出版社に直接言えよ。
「申し訳ございませんが、こちらではどうにもできません」
「んだよ、使えねえな」
文句言う前に、ちゃんと調べてから来いや。そう思いながらブツブツ言いながら帰るじじいを見送った。そのとき、後ろで相沢さんがニヤニヤしていたのを、私は見逃さなかった。
オムライスを考えた人は天才だな。そんなことを考えながら私は、目の前のおじいちゃんの話を聞いていた。昨日、株の話をして帰ったかと思えば、今日またすぐに来ていた。そして、まったく同じ流れで、気づけば私は話し相手になっていた。また娘の話から始まり、今は競馬の話になっている。この人は、どれだけ娘と賭け事が好きなのだろうか。まあでも、昨日の悪態じじいに比べれば、今日はのんびり話を聞くのも悪くないかな。
「長話してすまんね。本もすぐに見つけてくれて、話も聞いてくれるなんて、山ちゃんはまるで、本の神様だよ。それじゃ、また来るよ」
安い神様だな。てか、また来るのか。
「お待ちしております」
そう言っておじいちゃんを見送る。それにしても、本の神様はないよなあ。
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