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だから、神様なんていないから ②

 また来てる。
隣のレジで怒鳴り声をあげているお客様を見て、私、山下佳奈美はそう思った。
 私が働いているこの【シュリン堂書店 池袋本店】は、8階建ての大型書店であり、すべてのレジが1階にある。そのため、5階の文庫・文芸書を担当している私は、1日に1時間程しかレジに入らない。そんな私が、レジにて、同じお客様を見かけると言うことは、かなり頻繁に、ご来店いただいているお客様の可能性が高い。私は、目の前のお客様の会計をしながら、隣のレジでのやりとりを窺った。
「だから、先週の新聞で紹介された本だって言ってるだろ。本屋のくせに、なんですぐに用意できないんだ」
「申し訳ございません。ですが、新聞に掲載されていた、という情報だけだは、こちらでも探しかねます。せめて、どういった内容の本だとか、作者がわからなければ、探しようがありません」
「そんなもん知るか。俺はおすすめの本って紹介されていたから、わざわざ買いに来たんだ。」
「そう言われてもですね・・・」
おいおい、すごい面倒な客じゃないか、このじじい。発行元すらわからず、ただ新聞に掲載されていた、という情報だけで、探せる訳がないだろう。書店員は、本の神様じゃないんだぞ。それにしてもこのじじい、先週もレジで怒鳴っていたな。もしかしてクレーマーか。
「どうされましたか、お客様」
誰かが呼んだのだろうか。いつの間にか、店長が来ていた。とりあえずは大丈夫だろう。そう思い、私はまた、目の前のお客様の会計に集中し始めた。

 1階でのレジを終え、5階に戻ると、同じフロア担当の相沢さんが、お昼に届いた本の仕分けを行なっていた。私は作業を手伝いながら、先ほどの客について、話をはじめた。
「っていう客がいたんですよ。そんなあいまいな情報で、本が探せるかって話ですよね。」
「その人、たぶん先月も来てたわ。時代小説を探してるってことで、私が担当したんだけど、そのときは、ラジオで紹介された本を探してた。しかも、タイトルとかの情報なし」。
「マジですか。結局どうしたんですか。」
「とりあえず、その時に発売された新刊を渡しといた。今は、これが売れているので、たぶんこれです、って言ったら納得して買って帰ったわよ。」
「さすが、年寄りの扱いが手慣れてますね」
相沢さんはこの本屋で働いてから10年以上経つベテランである。それに加え、時代小説を担当していることもあり、普段から年寄りには慣れているのだろう。まだ働き始めて2年の私とは、経験が違う。
「私は、変な客に当たらないように、日々祈ることしかできませんよ」
「それは私も同じ。」

 私は、相沢さんと本の仕分けを終えると、担当である文芸書の整理へと向かう。もともと本をたくさん読んでいた、という訳ではなかったが、この本屋で働くことが決まったとき、文芸書の担当になったのには安心した。ビジネス書や自己啓発本の担当になっていたら、きっと楽しくなかっただろう。現に、これらの本を担当しているスタッフに話を聞くと、しんどいと言っていた。だから、文芸書の担当になれたことには、感謝しかない。
そういえば、働いてから知ったのだが、本屋では、本をたくさん読んでいる書店員は少ない。私自身、本をたくさん読むほうではないが、ほとんどのスタッフがそうだったのには驚いた。なんで、本屋で働いているのだろう、不思議である。
だが、こうなると少し面倒なことが、度々起こる。それが、本の紹介である。本を買いに来るお客様の中には、ざっくりと本の設定だけ説明し、こんな感じの本を探して欲しいという客や、高校生の娘にプレゼントしたいので、おすすめの本を紹介して欲しい、といった客が存在する。こんなとき、普段あまり本を読まない私は、困惑してしまう。それでも、書店員として、おすすめの本などを紹介するのだが、後日文句を言いに来ないかと不安になる。いや、ほんとに。しかし、どうしたってお客様は、本を求めにやって来るようです。

「元気になれる本が欲しいのです」
「元気になれる本ですか・・・」
私は思わず、お客様の発言を繰り返してしまった。婦人という言葉が似合うこのお客様に、本を探して欲しいと声をかけられ、笑顔で、かしこまりましたと答えた私だが、もうすでに笑顔が消えそうである。
「例えば、どういったジャンルが読みたいとかは、ございますか」
なんとか笑顔を保ちながら私は問う。元気になれる本、という条件だけでは、いささか私には荷が重すぎる。なんとか絞りこんでいかねば。
「ジャンルじゃなくても、作者や、普段読んでいる本などを教えていただけると、ことらも紹介しやすいのですが・・・」
「私ね、このあいだ、主人を亡くしたの。病気でね。それで、今とても悲しいの。だから、本でも読んで、少しでも元気になろうと思ってね。」
予想していなかった返答に対し、私はぎこちない笑顔になってしまった。
「そうですか・・・少しお待ちいただいてもよろしいですか。探してみます。」
そういうと、私はとりあえず文庫本のコーナーに向かう。何千冊という中から、あの婦人が元気になれるような本を探さねばならないのだが・・・。久しぶりの修羅場だが、やるしかない。今こそ私の経験を活かすときだ。
 
しかし、人生とは残酷なものであった。思い返せば、私はこれまで、ミステリー本か漫画ばかりを読んでいて、とてもだが、あの婦人を元気にできる本など、知る由もなかった。さて、どうしたものか。こういうとき、私は同じフロアのスタッフに話を聞くのだが、今日は私と相沢さんしかスタッフがおらず、この時間は、相沢さんがレジ担当の時間であり、話を聞ける人がいない。・・・詰んだ。そう思い私は思わず天を見上げた。といっても見上げた先は空ではなく天井なのだが。
 さて、どうしたものか。悩んだ挙句、私は自分が担当している文芸書コーナーに移動した。もしかしたら、普段私が見ていた本の中に、探している本があるかもしれないと思ったからだ。しかし、なかなか欲しい本は見つからない。私が諦めかけていたとき、ふと隅に置かれていた本に目がいった。それはまるで、本が私を呼び込んだように感じた。私は、呼び込まれるがままに、その本を手に取った。

「お客様、大変お待たせいたしました。こちらの本はいかがでしょうか」
私は1冊の赤い本を渡す。【著者:阿川佐和子、タイトル:ああ、恥ずかし】という、新潮社から出ている文庫本である
「こちらは、様々な職業の女性たちが体験したことを赤裸々に語った本になっております」
「あら、そんな本があったのね」
婦人は、本の裏側に書かれたあらすじを読み、ページを少しめくると、私に笑顔をみせてくれた。
「ありがとう。この本、読んで見ます」
婦人は最後にもう一度お礼を告げると、階段を降りていった。最後の一言を聞けた私は、きっとこれからも本屋で働くのだろうと思った。

レジから戻ってきた相沢さんに、さっきの婦人のことを話した
「私でも、阿川さんの本を紹介したかな」
「相沢さん、阿川さんの本、読んだことあるんですか」
「いや、ないよ。でも、あの人の本って、ご年配の方に結構好かれるのよ。」
「なるほど。やっぱ自分で探すより、相沢さんに聞いたほうが、早かったかもしれないですね」
やはり経験か。私もまだまだですな。
「それにしても、よくその本を見つけたね。」
「ああ、それはたまたまです。どの本にしようか迷って、文芸書のコーナーを見てたら、偶然、阿川さんの本が目に入って。それで、本の帯をみたら、ご年配向けの本を書いていることがわかったんで、一か八か、文庫本を見てみたら、いい感じの本があっただけです。」
本当に奇跡だった。きっと日頃の行いがよかったのだろう。
「へぇ、そうなんだ。もしかしたら、本の神様が、こっちだよって、教えてくれたのかもね。」
「何言ってるんですか。本の神様なんていないですよ」
「はは、確かにそうね」

 また来てる。
先週も怒鳴っていた客が、今日も、私の横のレジで怒鳴っていた。隣のスタッフが、それでは探せないと言っている。きっとまた、無理な注文をしているのだろう。まったく、どうして本屋に来れば、必ず本が見つかると思っているのか。何度もいうが、書店員は、本の神様ではありません。

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