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あの日のタイ料理が、忘れられなかったから。

「30歳までにお店を開業しよう、って決めてたんです」

そう話してくれたのは、タイ料理キッチンカー『SOM TAM(ソムタム)』のオーナー、由希絵さん。自身の決意を追う形で、30歳になった2021年にキッチンカーを購入、同年8月4日に北海道で初出店を形にしました。

「緊張でうまく笑えなかった」と、今は笑いながら振り返る、人生で一度だけの大切な日。自身の夢が実現した「キッチンカーをオープンした日」のことを聞かせていただきました。

(聞き手・執筆/染谷楓 編集/佐々木将史

忘れられないタイとの出会い

私がタイ料理にはまったのは、25歳のときです。

大学卒業後に、看護師を目指して別の学校を受験したら落ちちゃって、これからどうしようかなあ、と考えているときでした。ふと「就職したら、この先自由な時間ってあんまりないよな」と思って、ずっと行ってみたかった東南アジアを周ってみたんです。

期間は1ヶ月。タイから入って、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーに行きました。それまでも海外旅行は何度かしたことがあったけど、1人は初めて。ずっと緊張してました。だから前半は正直、ごはんの味もあんまり覚えてなくて(笑)。

そうしてぐるっと周って最後にまたタイに戻ってきたときに、「ああ、無事に帰ってこれたー!」って、ホッとして。そのときに食べた料理が、すっごいおいしくて忘れられなかったんですよね。

なんだろう、あの酸っぱ辛い、癖になるおいしさ。どれも印象に残ってるけど、私は特に「ソムタム(青パパイヤのサラダ)」が好きでした。キッチンカーの名前も、ここから付けたくらい。

帰国してからもその熱は続いて、休みの日は料理教室に参加したり、タイレストランや食材店を巡ったり、レシピ本を買ったりと、タイ料理に夢中で。家族に「また?」と呆れられるほど、家でタイ料理ばかり作ってました(笑)。どうしたら自分の好きな味に近づけられるか研究したくて、その後も何度かタイに行きましたね。

そうこうしているうちに「私、タイ料理にめっちゃ時間使ってるじゃん!仕事にしてみたらどうなるんだろう?」と思い始めて、27歳のとき、ついに東京のタイ料理屋に就職しました。そこからさらにタイ料理への熱が高まったので、「30歳までに自分でお店を開業しよう」って決めたんです。

空っぽのキッチンカーと北海道へ

元々、新しい場所や人に出会うことが好きで、お店を出すならキッチンカーしかないと思っていました。

車を買ったのは、地元の埼玉です。ここまで大きな額の買い物をしたことがないので、それは震えましたよ(笑)。いよいよ戻れないぞ、って。

前の年の夏に北海道のゲストハウスで働いてたから、その夏も買ったばかりの空っぽのキッチンカーを運転して、北海道に行きました。

でも、北海道に行ってからのことは決めてませんでした。私、ぜんぜん計画性がないんですよ。思い立ったらすぐ動くのに、逆算して行動ができない。そんな性格を知っているゲストハウスの仲間に、「早くオープンしなよ」「いつやるの?」と、何度もお尻を叩いてもらいました。

まず、北海道でキッチンカーを営業するための「営業許可」の申請日を決めて、急いで什器を揃えるところからスタートして。キッチンカーを始めるにはこんなに色々必要なのかと、あらためて感じましたね。北海道には在庫がなくて、関東から取り寄せた物もありました。一緒に乗せてきたら時間もお金も節約できたのにと気づいて、さすがに何やってるんだろう……って自分でも思いました(笑)。

そうこうしているうちに、友人の伝手で声をかけてもらって、初めての出店が決まったんです。永楽寺さんというお寺が主催する、地域のイベントでした。メニューは、一番自信のあった「グリーンカレー」に。

前日の夜から仕込みをしたんですが、「お客さん来てくれるかな?」「トラブルが起きたらどうしよう……」「足りないものは本当にない?」と心配が止まらなくて、緊張で吐きそうでした。イベントの前は、今でも毎回そうなんですけどね。

特に、お客さんが来てくれるかどうかは不安でした。北海道という知り合いもいない土地で、しかもあまり広まっていない「タイ料理」。無名のキッチンカーにどれだけきてくれるかなって。もし誰も来てくれなかったら......と考えると、すごく怖かったです。

車につめこんだ、40食分のグリーンカレー

当日も、朝から緊張で顔が引きつってました。全然うまく笑えなかったですね。歯に唇がくっついてましたもん(笑)。

イベントの開始は夕方の18時。準備したグリーンカレーをキッチンカーに詰め込んで、会場に向かいました。そうそう、車を走らせて気がついたんですけど、北海道ってアップダウンのある道が多いんですよね。カレーがこぼれないように運転するのが難しくて、かなり気をつかいました。やっとの思いで到着した会場は穏やかな雰囲気で、お客さんも販売が始まる前から見に来てくださったり、他の出店者のみなさんが優しくしてくださったりするのが嬉しかったです。

一番最初のお客さまは、奥様同士のご友人、3名でした。「タイ料理?食べたことないけど、食べてみようか!」って。その他にもSNSを見て来てくださった方や、おいしかったからとその日2回買ってくださった方もいました。おかげで用意した40食分、無事に完売。前の日からずっと緊張してたから、「終わったー!」って、やっとホッとできました。

それからは、イベントの回数を重ねるごとに「また食べにきました!」って来てくださるリピーターのお客さまや、「次はどこでやりますか?」と出店情報を追ってくださる方が増えてきて。ありがたいですよね。

キッチンカーだと、その場で食べず料理を持ち帰る方が多いので、お客さんの反応がわからないことも多いんです。だからこそ、SNSで感想を書いてくれた方のコメントは全部見てますし、エゴサもめっちゃしてます(笑)。友達に食べてもらうのとは違って、やっぱり率直な意見もくるし、怖いけど見ておこうかなって。

出店準備で大量の仕込みをしているときは「もうグリーンカレーを見たくない......」って正直思うこともあるんですけど、もう作りたくない、って思うことはないです。出店の時のお客さんの反応が嬉しくて、楽しいから。私の料理を楽しみにしてくれるお客さんがいる限り、お店を続けていきたいなと思います。

目の前の景色が、毎回変わる職場で

北海道でのシーズンが終わってから、車のメンテナンスをかねて埼玉に帰ってきました。

この次どこに向かうかはまだ決まってないんですけど、地元での可能性も探りながら、今の自分にできることをやりたいと思っています。キッチンカーを動かしてみてわかったことがあるので、このタイミングで足りない物は揃えて、メニューの開発もしたい。「こうしたらもっとおいしいけど、環境的にできない」っていうことも正直あるから。

ひとまずの目標は「ガパオライス(バジル炒めごはん)をメニューに増やす」ですかね。タペストリーに大きく写真が載っているのに、実はまだメニューにないんです……はい、お客さんにも突っ込まれます(笑)。でもまだ自分の中で、キッチンカーの設備で提供できる、おいしい作り方が見つかってなくて。妥協するのも嫌なので、このオフシーズンに研究します。(※編注:ガパオライスは2022年2月よりメニュー化されました。)

実際に始めてみたら、キッチンカーなりの苦労はたくさんあります。でもやっぱり、目の前の景色が毎回違う職場って新鮮で、私にはこのスタイルがあってる気がします。

あの初出店の日は、私にとって「自分がやってみたかったことを実現できた日」でした。

緊張した気持ちも、うまく笑えなかった感覚も、これからもずっと私の記憶の中に残っていくと思います。今でも鮮明に思い出せますから。

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