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仕事を辞めてから

わたしは昨年の5月末ごろから病気休職し、そのまま勤めていた会社を辞めて現在無職の生活をしております。会社を休み始めて一年半弱、いろんなことがありました。今日はその備忘録とでも言いましょうか、なんか振り返ってみたいと思ったのでまたつらつらと文字を並べたいと思います。

と言っても、最初の数か月のことをほとんど思い出せません。

仕事に通っていた最後の一週間は何もしていないのに肩が痺れたり、始業直後から腹痛でトイレに籠ったりと、今思い返せば身体に異常が起きていました。全然なんとも思わず過ごしていましたが、これに早く気づけば、なんて思ったりもします。

そして休みの日の朝からパニック状態で仕事へ行く準備をしてしまったり、出勤時間からはかなり早く起きて慌てながら準備をしていて、その異変にパートナーが気付き、「会社を休もう。」と言い、会社へ事情も説明してくれました。わたしはこの頃のことを思い出せません。混乱していて自分が自分じゃないような、そんな感じだったと思います。

そこから数か月たち、少し落ち着いたころ自分はどうなってしまったのかと思い当たる症状を検索したり病気について調べる毎日。どんどん不安になっていきました。病院にも行ってなかったので病気かどうかもわからないのに自分はそうなんだと思い込んでしまったこともありました。毎日を過ごしていく中で調子は日毎にコロコロと変わりなかなか安定しなかったある日、わたしは「死にたい」と思いました。病気かどうかも分からない、という状態が不安を煽りました。気持ちが落ち着かない、どう考えても今までの自分と違う、こんなにおかしいのに何もないわけがない、そう考えて「病院行きたいんやけど…。」と大泣きしながらパートナーに打ち明けたのを覚えています。行こう、って言ってくれて少しほっとしたのもなんとなく覚えています。

病院へ行ってはっきりと病名を告げられたわけではなかったのですが、仕事はしばらく休んで様子を見ていきましょう、と診断書をもらって会社に送りました。少し安心しました。やっぱり普通じゃなかったこと、証言をしてもらったみたいで安心したのだと思います。何もわからない不安から何かが確実におかしい、ということが分かっただけですがそこから少しずつ回復していったように思います。薬代がめちゃくちゃ高かったのだけがまだちょっと不安でした。まぁ薬なんだしそりゃそうだ。笑

落ち着いたとはいってもすっかり良くなるというわけにはいきません。仕事をしていた時のコンディションが50だったとしたら、-100から-80ぐらいに上がったという感じです。地味な回復です。まだまだです。その当時は睡眠薬ももらっていたと思います。バッキバキに目が覚めて毎日寝られなかったのは覚えています。そんな毎日を過ごしました。

季節は流れ秋が来た頃、わたしは仕事がしたいという思いに駆られ職場に相談します。仕事復帰とはなりませんでしたが、職場と関わりのあった農家さんに仕事の手伝いに行きました。そこで、またおかしなことが起こりました。他人が話していることが全く理解できなくなり涙がボロボロ出てきました。なんとかこらえて帰った後、自分はもう仕事はできないんだ…と悲しくなって数時間涙が止まりませんでした。(パートナーは出張だったかな?)

もう仕事ができないんだと思ってしばらく落ち込みました。みんなが焦るなと言います。アルバイトも週5で行っていたような人間が、仕事がなくなるとどうなるか、自分の存在意義が分からなくなりました。仕事のために生きてたんや…と気付きました。自分のためでなく、仕事をするために。身を粉にして働いてたんだと分かったとき、またつらくなりました。自分のために何もしてあげられなくてずっと自分をいじめるかのように、そうやって生きてきたんだと思いました。何のために生きてるんやろうって考え始めてしまいました。季節は冬。冬に考え事なんてするもんじゃないですね。

それからできるだけ何も考えずに生きていこうと思い、目の前にある1日1日を過ごしていました。回復の兆しが見え始めたのはこの頃からです。年末年始もご近所さんと過ごすなど、他人との関りも増えたのが良かったのだと思います。いろんな人と他愛もない話をする、そんなことが楽しいと思えるようになりました。ご近所さんは不思議な場所で、いろんな人が集まります。そこに行ってただ話を聞いたり、みんなの様子を見ているのが楽しかったのです。生きていて、楽しいと思えるようになっていきました。

年を越して職場から連絡があり、年度明けから正職員という立場を失うことになりました。ここで、少し安心したのを覚えています。休めと言われている中でもやっぱり自分は会社に所属していること、かなり不安に思っていました。解放される、そんな気分でした。かなり回復をしたように思っていましたが仕事ができるかというとそういう状況ではなく所属していることに対して申し訳ない気持ちと、何も考えたくないから解放されたい気持ちと。ごちゃまぜになって悩みの種でもありました。非正規社員になる、といった内容だったと思います。もちろんできることならその職場に戻りたいという気持ちはあり関りが切れないことに社会での立場としての安心感はありましたが、この頃から考えていたのはすっぱり辞めてしまったほうが良いのではないかということ。いつ戻れるかもわからない状況でずっと所属し続けるということに抵抗感を覚え始めました。

年度末、さらなる提案を職場から受けます。それは、職場復帰というのを一旦諦めてしまうのはどうか、という内容。わたし自身もそう思っていたのでそのままその内容を受けることにしました。職場が自立支援の仕事をやっていたということもあり、弱ってしまった人間に対しての理解もあったからこういった提案を受けられたのだと思います。そうしてなんやかんやあり5月に退職という流れになりました。

退職してからというもの、また不安にかられます。それは「お金どうしよう」です。傷病手当を受けられていたこともありしばらくは困ることはなかったのですが、それが切れてしまったあとのことを考えて転職サービスに登録し毎日転職に関するメールを受け取りました。それを見て毎日不安になります。条件を見ていると、普段ずっと家にいる自分に仕事ができるとは思えなくて何社も登録したメールを全部解除します。やっぱり仕事できないんだな、どうやって生きていこうかな、と考えていました。パートナーはお金の心配をしなくていいよと何度も言ってくれましたが、家事すらまともにできなかったので一緒に生きている以上養ってもらうのは申し訳ないと思いどうしても仕事がしたいと思っていました。

家で仕事できたらいいなぁなんて考えていたところ、高校時代の元担任と連絡を取っていたところ「家でできる仕事紹介しようか?HTMLとか覚えなあかんけど」と言われました。確かにパソコンは得意でそれならできるかもしれないと思いました。いろいろ調べてWeb制作という仕事に目を付けました。わたしの次の目標はこれです。次に勉強しようと思っています。これは今回あまり関係ないので割愛します。

そうなったら手っ取り早くなれる方法はないのか!?と検索をかけたところ、住んでいる地域でのハローワークで職業訓練をやっているのを知り話を聞きに行きました。途中までは良かったのですが、家で仕事がしたいというと職業訓練の後は会社に就職しなければいけなくて家でできるかは分からない、たぶん無理だと思う、とのことでした。ここでポッキリ心が折れました。

そこで自分がいましている生活について考えました。仕事をするとなったら家でやるとなっても朝起きて規則正しい生活をすることが必要になると思いました。が、この前のわたしがしていた生活は基本12時起き。起きたら午後が始まっていて12時間睡眠、とても人間のするべき生活ではありません。と、思いました。朝起きて朝ご飯を食べて朝にインプットの勉強して午後からはアウトプットの勉強してご飯を食べて好きなことして寝る、そんな生活がしたいと思うようになりました。人間らしい生活、そんな生活ができないとダメだと思い早起きができるようになりたい!それが今月の目標です。気合では起きれるはずもなく、まだパートナーに無理やり起こされるという感じですが3日連続で午前中の間に起きることに成功しました。昨日は朝起きれたご褒美にフルグラを買いました。今日はフルグラが食べられました。よかったです。人間らしい生活への第一歩です。今はそんな感じです。

今、わたしはとにかく「生きていたい」という気持ちでいっぱいです。いろんなことがあったけど、生きていたいです。毎日必死です。明日もフルグラが食べたいです。必死に生きて、勉強して、仕事して、そんな人間らしい生活がしたいです。特にオチとかはありません。今の気持ちです。そんな感じです。生きていたいです。また人生やり直したいです。やり直しというか、再スタートできたらなって思っています。

明日も、フルグラ食べるぞー!

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