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ロッケンロールばばあになる方法

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カワイイおばあちゃんになるなんて無理! ならば、ロックなばあさんになればいい!日々のいろいろ、てきとうに更新。
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#家族

死体の横で眠る

もうすぐ日付が変わろうとしていた。 すっかり支度の整った父は、さっきより少し硬くなっていた。死後硬直というやつが始まっている。ドラマなどでよく聞くセリフだけれど、生の人間で見たのは初めてだった。それでも体とベッドの間に手を入れると、まだほんのり温かいのが切ない。 父の体を清め、着物を着つけてくれたケアマネFさんとナースのKさんを見送った。心優しいKさんは泣いていた。毎日通ってくれた訪問看護師さんたちに、もう会えなくなるんだ…。そう思ったら急に寂しくなった。 ケアマネFさ

ちちが死んだあとにしたこと

あの夜には、まだ続きがある。 父が息を引き取ったのは、11月2日pm8:30ごろ。ごろ、というのは、だれひとり正確な時間を見ていなかったから。「たぶん8時半くらいだったよね」ということで満場一致。ひとしきり泣いたり笑ったりしたあと、「そのときが来たら、ここに電話してください」と、いわれていた訪問看護ステーションへ長姉が電話をかけた。 15分か20分か、いつものように自転車でかけつけてくれたのは、敏腕ケアマネジャーのFさんと、緊急の呼び出しで休みの日や夜中にも何度か来てくれ

ちち、逝く 1102night

夜になり、父の容態も変わらないので「一度家に帰ろうか」と考えていたところに来客があった。母の妹である叔母と従妹夫婦が、父の見舞いに来てくれたのだった。今日まで叔母は、父の容態を知りながらも見舞いを遠慮していたのだという。母や私たちが、父の介護以外のことで気を使わないようにとの配慮らしかった。そのかわり電話や手紙(これが毎回笑える!)を頻繁にくれていた。そんな叔母が、その夜に限って突然やってきたのは、なにかの知らせを受けたからだったのかもしれない。 母のきょうだいは誰一人例外

ちち、逝く 1102pm

仕事を早回しで終えて、地下鉄に乗った。今夜は泊りになるかもしれないから、一度家に帰ろうか。と思ったが、そんなことをしている間に逝ってしまったら、たぶん一生後悔することになりそうだからやめた。コンタクトをしたままで眼鏡を持っていなかったし、携帯の充電器も持っていない。おまけに今日に限って薄着で出てきてしまった。ま、いいか。なんとかなるだろう。 実家に着いたのは13:00ちょっと前。母と長姉がお昼ご飯を食べているところだった。父の顔を覗くと、確かにいつもとは少し違う気がする。口

ひげ

父が退院して2週間。敏腕ケアマネジャーFさんのおかげで、あっという間に万全の体制が整った。あとはサポートしてくれる人たち(訪問看護師さん、往診の医師、ヘルパーさん、訪問入浴の業者さん、介護器具の業者さんなどなど)に助けてもらいながら、なんとか父を生かしていく。 最初の1週間はとにかくぐったり疲れた。ハイになった母は、動きっぱなしにしゃべりっぱなしで、寝たきりの父より上手につきあうのが難しかった。そんな母もようやく落ち着き、わたしたちも泊まり込みはなくなり、今がいちばん静かな

在宅介護はじまる

父が退院して1週間。姉の友人であるケアマネさんのスピーディな手配のおかげで、看護師さんの訪問介護、専門医のリハビリ、医師の往診、週2の訪問入浴が決まり、手が回らない部分を助けてくれるヘルパーさんもお願いできることになった。 たった1週間で、たくさんの方々が父のために動いてくれ、母は何枚もの契約書にサインをした。 私たち3姉妹は日替わりで泊まり込み、父の食事の介助からシモの世話までできる限りのことをした。夜中に高熱が出たり、顔だけ異常に火照ったり、毎日なにかしら起こる父の変