あたたかい記憶

思い起こすさまざまな記憶に引きずられて苦しくなったので、書く手を止めて(こどもだったわたしを無条件に愛してくれた人は誰だっただろう)と考えてみた。
口ばかり達者で、いじけて、育てにくかったであろうわたしを無条件に愛してくれたのは母方の祖母だった。離れて暮らしていたので、母に連れられて帰省した時にしか会えなかったが、わたしは祖母が大好きだったし、祖母もわたしを全面的にかわいがってくれた。生活にゆとりがなく、いつも忙しく働きづめの祖母だったから、特別何か買ってもらったり、変わったところに連れて行ってもらうということもなかった。外食すら行ったことがない。だがわたしが祖母宅にいる間、祖母はどこへ行くにもわたしを連れ歩き、わたしのおしゃべりを楽しそうに聞いてくれた。粗相をしても怒ったり叩いたりしないで魔法のように着替えさせ、あっという間に汚れた衣類や靴を洗って干して、何もなかったことにしてくれた。祖母と一緒にいる間、母はわたしを叩いたり怒鳴ったりしなかった。それだけでどれほど楽に過ごせたことか!
祖母と昼寝をしたことを覚えている。祖母に添い寝してもらっている時、茅葺屋根の高い傾斜の暗がりが見えた。祖母は台湾にいた時の話をたくさん聴かせてくれた。団地のような高層の建物に住んでいたこと。下の道路に野菜売りが通りかかると、紐のついた籠にお金を入れて降ろし、その籠に野菜とお釣りを入れてもらって買い物をした話。空襲で、両隣の建物が爆撃され、自分が住んでいた建物だけが残ったこと。両隣には大きな穴しか残らなかったこと。あとは台湾のことばをいろいろ教えてくれた。おばあちゃん、**って何て言うの?それは**。**は?それは**。中国語の響きが面白くて、おうむ返しに真似をすると祖母はほめてくれた。たくさん教えてもらったのに、今は何ひとつ思い出すことができない。
しあわせだった記憶の詳細は時間とともに薄らいでいくが、寄り添ってくれた祖母の記憶はあたたかい塊になってわたしの鳩尾のあたりに今もある。なつかしい記憶、あたたかい体験もあったから、何とかここまで生き延びて、曲がりなりにも人がましく暮らしていられるのだと思う。

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