数枚の折り紙

幼稚園には二年通った。通い始めた時は二年保育の一年目のクラス、ふじ組にいたのに、いつの間にかわたしは二年目の子ばかりのもも組で過ごすことになってしまった。どういう事情でそうなったのか今となっては確かめようもないし、あり得ない話でもあるのだが、実際にそうだったのだから仕方がない。
もも組のこどもたちは当然のことながら幼稚園生活に慣れている。自己主張もしっかりしていて、強い。でもそれよりも困ったのは担任のM先生だった。
M先生は若い先生だった。背が高くて、当時流行していたミニ丈のワンピースをよく着ておいでだった。そして、とんでもなく怖かった。忘れ物をしたり、指示に従わなかったりすると震えあがるほど厳しく叱られた。何かにつけてわたしを引っぱたく母よりもM先生の方がおそろしかった。母もM先生の厳しさについて認識はしていたようだが、それについて幼稚園に何かを申し立てるということはなかった。当時はたとえ幼稚園でも「先生」には権威があり、親も子も先生の言うことには従うものだと思っていた。先生が間違っているわけがない、そんなに叱られるのはその子が悪い。一人っ子ですぐめそめそ泣く、根性のないめめしいこどもだから厳しくされるのだ、と。
登園時、幼稚園のかばんに入れて持参するものには決まりがあった。ハンカチ、はな紙、毎日スタンプを押してもらう帳面。ある日、そのかばんに母が折り紙を数枚しのばせたことがあった。前の晩とても機嫌のよかった母が(今思えばやや躁に近い気分で)「幼稚園でもしすることがなくて退屈したらいけないから、折り紙を入れておきましょうか」と入れたものである。翌朝、園児全員が並んで一人ずつかばんの所持品検査を受けた時、M先生がその折り紙を見つけて、わたしに突きつけた。
「どうしてこんなものを持って来たんですか!」
「ママが、退屈したらいけないから、持って行きなさいって……」
ああ、また叱られてしまった、と半泣きになって答えると、先生は「退屈?」と言って、短く笑った。それは、わたしが生まれてはじめて他者の顔の上に見た、嘲笑という表情だった。その後先生が折り紙をどうしたのか、捨てたのか、持って帰れとかばんに入れて返してよこしたのか思い出せないが、先生の表情だけはどうしても忘れられない。怖くて、悲しくて、怯えていたけれど、その表情を見てわたしはものすごく腹が立った。ママを馬鹿にした先生は悪いと思った。確かにママは間違ったことをしたかもしれないけれど、よかれと思ってしたことをあざ笑うなんて、ひどい。
もう半世紀以上昔の話で、今のわたしからM先生に言いたいことは何もない。ただ、あの日その場に居合わせることができたなら、拳をにぎりしめて泣いていた幼稚園児のわたしの側にいてやりたい、そう思うだけだ。

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