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31-2 梅すだれ 御船/木花薫

この頃の家に天井はなく家の上部は柱がむき出しで屋根の裏が見えた状態であった。床に垂直に立てられた通し柱の上部を水平につなぐ横木、差鴨居さかもいに板を張り床にして寝泊まりや物置に有効活用したものが厨子二階つしにかいである。低くて狭いが小さな窓を開けることで換気がなされ、寝るのはもちろん座っている分には十分な空間である。

その二階へ上がるためにかけてある梯子の下へ行くと、お滝は「ご飯炊けたよ」と大きな声で叫んだ。もそもそとお桐が梯子の上に顔を出した。

「上へ持ってこうか?」と訊くと、「下で食べる」と降りてきた。

「田北さんが来てた?」

「とうふと護符をくれたよ」

「とうふ?」

お桐も豆腐を知らない。二人は田北に言われたとおり塩をふり匙ですくって食べた。舌の上でもろく崩れるとうふは初めての食感で、やさしい甘みに頬がゆるむ。
「おいしいね」
お桐の顔から疲労が消えた。珍しい食べ物に目が輝いている。

いつものお桐に戻って安心するお滝は、
「田北さんに変なこと考えちゃいけないって言われた」
と含み笑いをした。お滝が失意で入水するのではと心配する田北に、マサなしで生きようとしている自分に気付かされたお滝である。頭の中はマサがいなくなってどうやって生きていくのかでいっぱいだ。自分も死のうなどとは考えもしていない。

「この護符はね、海をお守りくださる早吸日女はやすひめ様で、そのご神体の神剣を海から取り出したのは海女の姉妹なんだって。お桐と二人で頑張れって励まされた」

マサが死んでからろくに口もきかなかったお滝が、以前のようにしゃべっている。お桐は肩の荷が下りたような気がした。
「お桐、ごめんね」
お滝が謝ったのはお桐ひとりに店をまかせて臥せっていたことだけではない。九州へ連れてきたことも含めて申し訳ないと言ったのだ。しかしお桐は店のことだと思った。

お滝が寝込めばお桐が起きる。お桐が厨房に籠ればお滝が外に出る。そうやって支え合うのが当然で、お滝が泣けばお桐は涙をこらえてマサが死んだことを悲しむ暇もなく働いた。しかしお滝が立ち直ったことで張りつめていた気持ちがぱんと弾けた。

「マサやんが死んじゃった」

お桐はぼろぼろと涙をこぼして泣き出した。堰が切れたように流れだす涙。雑賀でお孝と別れた時のようにわんわん泣きじゃくるお桐に、お滝はまた泣かせてしまったと自分を責めずにはいられない。

雑賀を発つときは九州という理想の地で楽しく生きていく自信があったけれど、今は雑賀へ帰ることを考える有様だ。お滝は言葉なくお桐を抱きしめた。マサが自分にしたように頭を撫でながら、これからどうすればいいのか途方に暮れたのだった。

ひとしきり泣くとお桐はすっきりしたらしく「またお店がんばろうね」とぬか床をかき混ぜて明日の店の準備を始めた。しかし憂鬱なお滝は空元気を出すこともできず「しばらく休もう」と返した。

店は閉めたまま野菜の世話をしたり二人で外をぶらぶらして過ごしていたのだが、三日目の朝にお桐が「とうふを店で出したい」と言い出した。しかしとうふが何でできていてどうやって作るのかてんでわからない二人である。あの人なら知っているだろうと、クラのところへ向かった。

クラは村の大地主で川沿いの畑はもちろん御船の土地のほとんどを所有している。大きな畑では小作を雇いありとあらゆる野菜を作っていて、御船の市場で売られている野菜も宿屋に卸されている野菜も、ほぼクラのとこのものだ。
御船に来て畑を始めた時からいろいろ教えてもらって世話になっている。クラなら知っているはずだ。お滝とお桐はクラを捜しながらだだっ広い畑を通っていく。茄子を収穫している人に尋ねると、家にいるだろうと言われた。

畑の向こうの大きな家の前で呼ぶとクラが出てきた。
「おたき、元気になっとっと」
久しぶりにお滝を見てうれしそうなクラである。とうふのことを尋ねると「タケさんの豆腐を食べたとか。あれはうまか。タケさんに教えてもらうのがええ」
と甘木のタケを教えてくれた。

御船から北東へ一里歩き矢形川を越えたところに甘木はある。そこのタケのつくる豆腐がうまいと評判で、遠くから買いに来る人もいるそうだ。

お滝とお桐はクラから渡された茄子と金山寺味噌を持って甘木へ向かった。

つづく


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