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20-5 梅すだれ 肥後の国

 海に面した高台で木に縛りつけられた与兵衛は、幾日も海風に吹かれて過ごした。
 隣の木の下に座り込んだ役人に、
「口を割らぬか。死んでしまうと。話せば解いてやると言うとっと。」
と何度言われようと、与兵衛は原城のことを話さなかった。

 全部で何人いるのか?
 どこに誰がいるのか?
 益田四郎はどこにいるのか?

 役人は同じ質問を繰り返したが、風が吹き飛ばしてしまい与兵衛の耳に入ることはなかった。

 俯いて目も開けられないほどに憔悴した与兵衛であったが、満ちていく月が命の火を絶やさせはしなかった。十日経った満月の夜、与兵衛は目を開けた。爛々と輝く月は子どもの頃から見ている月と同じ。変わらない月に(お柿も太郎も失い身動きも取れない我が身となんと違うことか)と、与兵衛は滅びゆく生き物としての自分自身を嘆くのだった。

(原城へなんて行かんと天草で今までどおりにお柿と暮らしていればよかったと)

 後悔する与兵衛であったが、すべてを見通すように照らす月がこう言ったように思えた。

「そのままでいいのだよ」

 慰めるような励ますようなその優しい語りかけに与兵衛は泣いた。乾き切った体で涙は出ない。しかし呼吸は荒くなり腹は引き❘攣《つ》れを起こしたように波打ち、熱いものがざわざわと体の中を流れるのを感じた。

 そんな与兵衛の隣の木の下に座り込んでいる見張りの役人は気持ちよさそうに眠っていて、与兵衛の号泣になど気づかない。

 月明りに清められるように、与兵衛は今までの人生を思いおこした。

 四番目の子どもとして農民の両親のもとに生まれ、これと言って何かに不満を抱くこともなく育った。

 十三歳になった時、隣の家に嫁いできたのがお柿の姉だった。その縁から十八歳の春にお柿と一緒になった。着物一枚と手ぬぐい一本だけを持って隣村から父親に連れられて来たお柿。不安そうな顔だったが与兵衛を見た途端にこりと笑った。その笑顔を見た時、与兵衛の緊張も解けた。姉によく似た顔と声と言うのもあるかもしれなかったが、話してみると初めて会ったとは思えないくらいに話が弾んだものだから、お柿とは生まれる前から一緒になることが決まっていたのだと与兵衛は思った。

 その日から二人で暮らし始めたが子どもができるまで七年かかった。待ちに待った子どもは女の子で二人で大喜びをしたのだが、一月後に赤ん坊は死んでしまった。

 その時のお柿の気の落としようは尋常ではなかった。
「また産めばいいと。」
と慰めても、
「産んだってあの子はもう戻って来んと!」
と言い返すばかりで毎日死んだ子のことを考えて泣き暮らしていた。どうしたものかと思案していたところ、六月むつき後にお柿の姉が子どもを産んだ。四人目の子だった。乳の出が悪いと聞きつけた与兵衛は思い切ってうちで育てさせてほしいと頼んでみた。そうしたところ赤ん坊の死んでしまったお柿を不憫に思っていた姉は、次の日お柿に赤ん坊を渡しにやって来た。

 姉の子は男の子でお柿の産んだ子は女の子だったから文句を言うかと思ったが、お柿はすんなりと受け取って乳を飲ませた。そしてそれ以来死んだ子の話はしなくなった。それどころか姉から貰った子である太郎を自分が産んだと言うようになった。
「産んだのは女の子と。この子は男の子と。」
と最初はお柿の記憶を正そうとしていたが、次第に与兵衛もお柿が太郎を産んだと思うようになった。姉夫婦もお柿が産んだと言って話しを合わすから、太郎自身も生みの親がお柿だと信じて育った。

 その後お柿が妊娠することはなく、太郎一人を大事に育てて嫁も貰った。うちの子になってくれた太郎のおかげで人並みの幸せをもらって生きて来ていた。それなのに自分たちと同じように子どもを失う目を太郎に合わせてあろうこおか嫁も死なせてしまった。自分の不甲斐なさに原城を脱出する前から与兵衛の心はボロボロになっていた。

 天草へ帰りもう一度太郎が自分たちの所へ来てくれたように、太郎に新しい嫁をもらえば子どもが生まれてくるだろうと期待していたと言うのに、太郎さえもが死んでしまった。そしてあろうことかお柿までも。

 すべてを失った。

 そんなことになったのは原城へ行ったからだ。太郎が行きたがったとは言え、行くことに賛成してお柿を説得したのは自分なのだ。

 お柿の「城なんかに来んかったら無事に生まれとっと!」という言葉が耳から離れない。

 行かないという選択をしなかった自分が恨めしい。

 しかしそんな自分を「そのままでいいのだよ」と月が優しく照らしてくれるのだ。その温かい光を浴びていたら、反逆者として村人への見せしめに木に縛りつけられた我が身はイエス様のようだと思えてきた。

 罪人として十字架に磔になったイエス様。
 皆の罪を背負って亡くなられたイエス様。

(イエス様も身動きのできない状態で、変わり果てた我が身を嘆いたとか?)

 月に問いかけてみても、満月はただ優しく笑っているように見える。

(このまま死んでしまおう)

 原城へお柿や嫁を連れて行った自分の罪を償うのだ。太郎までも死なせてしまった罪を死んで償おう。

 死ぬことへの覚悟ができた与兵衛はスッキリとした気分になっていた。皆の所へ行って楽になりたい。そう思って目をつぶったが、白々と夜が明け始めた。それと同時にお柿と太郎の沈んだ有明海から風が強く吹き付けた。

 ごーと音を立てて海から来る風は、山を通り過ぎる時にヒューと鳴った。
 それはまるでお柿の泣き声のようだった。赤ん坊が死んだときのお柿は唸るように低く泣いているかと思えば、息を吸う時にヒューと高い音を立てていた。あの声にそっくりなのだ。

「恨めしい。おいたちを殺したおまいが恨めしか!」

 目の前でお柿が叫んでいるように思えて顔を上げるが、見えたのはお柿ではなかった。夜が明けたというのにまだいる月だった。

 残像のように白く空に残る月。闇を越えてまだ生き続けるその姿に与兵衛は思った。

(まるでおいではないか!)


つづく


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