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この頃の家に天井はなく家の上部は柱がむき出しで屋根の裏が見えた状態であった。床に垂直に立てられた通し柱の上部を水平につなぐ横木、差鴨居に板を張り床にして寝泊まりや物置に有効活用したものが厨子二階である。低くて狭いが小さな窓を開けることで換気がなされ、寝るのはもちろん座っている分には十分な空間である。
マサが死にお滝は三日三晩泣き続けた。二階のマサが寝ていた場所に横になってマサのことを思い出している。
マサが旅立ち意気消沈するお滝。追い打ちをかけるように二日後に大嵐が肥後を襲った。強い風がこれでもかと大粒の雨を打ちつけて来る。そのすさまじさは二階が吹き飛ぶのではと思われるほどであった。お滝とお桐は一階の座敷で身を寄せ合い息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待った。
船乗りたちの食欲は目を見張るものがあった。一人五合も一度の食事で食べるのだ。四、五人づつ順番に食事を済ませていくのだが、炊いても炊いてもなくなる。追われるようにひたすらご飯を炊き続けた。
やって来たのはお孝だった。
タカベを見送ったお桐はお孝の家へ向かった。さよならを言うために。
うつむいて食べる娘二人に、 「握り飯が売れなかったのか?一日くらい気にすんな」 と何も知らないタカベはいつもと変わらない。お滝は咳払いで気持ちを整えると言葉をゆっくりと吐き出した。
マサにお桐も一緒にと言われたお滝であったが、お桐に九州の話をすることはためらわれた。雑賀の人間だと言ってもいいほどにお桐は雑賀に溶け込んでいる。そんなお桐が聞いたこともない西の果ての九州へ行きたいと思うだろうか。お桐に言い出せないまま数日が過ぎた時、三日後に出る船で九州へ行けることになったとマサから告げられた。
時は戦国。タカベの絶賛する「こんないいところはない」という雑賀にも激震の走ることが起こった。室町幕府の将軍、足利義昭が織田信長を見限って挙兵したのだ。根来の鉄砲隊は義昭の部隊であったから、当然反信長派へ転向、雑賀は混じり気なく信長の敵となった。
(三日に一度では物足りない。毎日マサに会いたい)
お滝が家へ戻るとお孝が遊びに来ていた。 「お孝ちゃん、久しぶり!」
待ちわびるお滝の前に、マサはいつにも増して顔を緩ませて現れた。 「おタキちゃん、会いたかったなあ」 お滝が言葉を返す間もなく、マサはお滝を抱きしめた。 マサの焼けた肌からは昔懐かしい父ちゃんの匂い、海の香りがする。お滝は浦賀にいた頃を思い出して、ここが私のいる場所なのだと雑賀に来て以来初めての安心感を感じた。
マサの姿が見えなくなるとお滝は笠を拾ったが、被ることはなかった。マサの大きな手に揉まれた胸には痛みが残っている。その胸を隠すように笠を抱いた。今さっきマサにされたことを思い出すと腹の底に火がついたように体の奥が熱くなる。なめられたうなじの感触が火を燃え上がらせて体全体を焦がしそうで恐怖さえも感じる。炎を吹き消すように足早に家へ戻った。
日に日に気温の上がっていく夏。浜で握り飯を売るお滝とお桐に、太陽は容赦なく照り付けて来る。上からの陽ざしに加え、砂を反射した陽は下からも差しこんでくる。暑さをしのぐためにお滝は竹の皮を薄く剥いで日よけの網代笠を編んだ。同じ幅のひも状にしたものを横と斜めにぎっしりと編みこむ網代編みは、決して陽を通さない。手ぬぐいを頭からかぶり鼻の下で結び笠をかぶれば顔に陽ざしが襲い掛かることはない。目だけ出ている状態で暑い夏も元気に握り飯を売り歩いた。