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「強め」の明晰夢を見た話

久しぶりにハッキリした明晰夢を見ました、の話です。

「強め」の明晰夢体験

7月9日の朝のことです。久しぶりにハッキリとした明晰夢を体験しました。

以前のnoteにあるように瞑想実践の過程で明晰夢を頻繁に体験するようになりました。
しかし明晰夢からメリットを上手く引き出すことができず、かつ、夢と現実の記憶が混乱することがあり、それは特に困ったので、興味を失い今では積極的に見ようとはしていません。

関連:【 明晰夢の見方 】 無意識から創造性を得る夢見のヒント

しかし今でも自然発生的に明晰夢を体験することがあります。
興味があった頃なら ワクワク!!夢探検だっ!! になるわけですが、今では「あぁ、また明晰夢か」とポカンとするだけで、自然発生的な場合にはハッキリしたものではないことも多く、そのうちに意識もボンヤリしてきて明晰夢状態ではなくなります。

しかし今回の明晰夢は「強め」でした。

明晰夢の中で「ホントにこれは明晰夢なのか?現実ではないか?」の疑問

夢の中で、騒がしくて目が覚めました。どうやら外で多くの人が集まっているようでした。

近所には健康に不安を抱えた高齢者もいて、まれに夜中にも救急車が来ることがあるので、何事かあったのか?と思い起き上がりました。

部屋の窓から眺めてみるとパトカーと救急車が見えて、近所の人によって人だかりができていました。

すぐに玄関に向かいました。その途中で「これは夢だ」と気づきました。
部屋の窓から外を見た時には、まだ暗くて午前2時、3時の真夜中のようだったのですが、玄関わきの窓から随分明るい日差しが見えていました。

しかし関心があった頃に体験したのを含めて、今までの明晰夢と明確に違っていたことがありました。
それは明らかな矛盾もあり、これは明晰夢だと気づいたにもかかわらず、どういうわけだか「本当に明晰夢なのか?現実なのではないか?」という疑いが消えなかったことです。

とりあえず玄関から出て、集まっていた近所の人に何があったのか?と聞き、少し会話しました。
この会話の具体的な内容は記憶にありません。

パトカーの後部座席に3人が見えました。中央は女性でその両脇に警察官でした。どうやら女性が連行されるようでした。

この経過において「これは本当に夢なのか?現実ではないのか?」という疑いがずっとあり、夢であるとのさらなる証拠を探し求めていました。

パトカーに近づいて中を覗くと、その女性は(現実の世界では)遠く他県に住む知人女性でした。その知人は警察に連行されるようなことをするはずが決してないような人でもあります。

ここで「あぁっ!やはり明晰夢だ。現実ではない」と考えました。しかしそれでもなぜか、明晰夢ではなくて現実なのではないのか?という疑問が頭から離れなかったのです。

現実と明晰夢とは区別がつくハズ

基本的には、これは明晰夢だと気づいたときには、現実とは区別がつき納得できます。
体験すれば分かるのですが、リアルな夢の中で自覚的意識を保てるとはいっても、やはり現実とは違いがあるからで、これは夢の中で感覚的にも分かります。

しかし今回はその違いが十分には機能しなかったようです。

夢はリアルであり、自覚的意識をもって視覚、触覚など諸感覚に意識を向けることができ、実際にそうしました。
これら自体は私の明晰夢体験ではありふれたことです。

しかしどういうわけか、明確におかしなことがあるのを認識しても、いつまで経っても「ひょっとすると現実なのではないか?」という疑いが消えなかったのです。

これが夢なら現実ってなんなんだ?

夢の中で、急に夜があけたことや、遠くにいる知人女性がいてパトカーで連行されていたという現実にはおかしなこともあり、これは夢だろうと考えました。

しかし今回は、これらだけでは、これが夢であることの証拠としては不十分なのではないか?という考えが強く生じていたのです。

(景色を変えたり空を飛んだりすれば、夢だと確信できたのかもしれませんが、長らく関心を失っている中での久しぶりにハッキリした明晰夢だったこともあるのか、そのような考えが浮かびませんでした)

諸感覚に意識を集中して注意深く景色を眺めたり、周囲のものを触って感覚を確かめ、なんとかこれが夢であるとの決定的な証拠を探そうとしました。
もちろん明晰夢はリアルなものであるため、今までのと同じように、諸感覚は現実のようにハッキリしたものに感じられました。

「感覚もハッキリしてる。物事も考えられる。風景もしっかりしている。現実の世界と変わらないではないか?

確かにおかしなこともあるけど、現実世界でもおかしく見えることは沢山あるだろ?
これが夢だとする決定的な証拠は何かあるのか?

さらに夢から覚めて現実の世界にいる時には、現実の世界にいるという決定的な証拠はあるのか?
何をもって現実の世界であるとしているのか?現実の世界であるとする認識の根拠は一体なんなんだ?

このような考えがどうしたわけだか強く生じたのです。
引き続き夢であるとの証拠を求めてもがいていましたが、そのうちに意識を失ったようです。

――― ふと現実の身体の感覚に気づきました。目を瞑っていて視野が暗いことに気づき、睡眠から目が覚めたようだと気づきました。

独特な印象のある明晰夢を見たことの動揺があり、さらに、夢から覚め睡眠から目覚めたと思っても、それもまた夢だったというような重複夢の経験もあるので、まずは実際に目が覚めたのかどうか、今は明晰夢ではなくて現実の世界にいるのかどうかを確認しようとしました。
しかしここでも困難を感じました。

今は睡眠から覚めた状態で現実の世界にいるのを、どうやって確認すればよいのか混乱したからです。

明晰夢の世界はリアルであり、自覚的意識を持ち、諸感覚もハッキリしています。
そして睡眠から覚めたと感じている今もそうなのです!――何が違うんだ??

寝ぼけていたということもあるのでしょうが、このような混乱が生じて、起床後しばらくは心理的にも動揺が止みませんでした。

なかなか強めな明晰夢体験でした。

夢のヨーガ ―― 明晰夢で修行する!?

チベット密教には明晰夢を修行に利用する「夢ヨーガ(ミラム)」と呼ばれるものがあるようです(wiki : Dream Yoga , Milam)。

ダライ・ラマ14世も、夢、明晰夢について語っています ↓ ↓ 。

京都精華大学45周年記念事業 ダライ・ラマ14世講演会 11.24講演録

空性――夢も現実もその本質は空であるということ、を悟るために夢ヨーガが実践される、などと説明されています。

私はこれには違和感がありました。夢の世界と現実の世界とは違うからです。

「いくらなんでも夢と現実は違うだろ?

夢は所詮は脳の作り出す心象であって、空であると考えても良いだろうが、現実は客観的にしっかり存在するものだ。
夢に適用できる考えが、現実にもそのまま適用できるわけがない。混同だ。

チベットもこんな宗教ばかりやってないで、もっと現実的な政治、経済、外交、安全保障の政策をとっていれば、中国共産党、人民解放軍に対して違った対応ができたかもしれないな」

などと思っていました。

今回、強めの明晰夢によって認識が揺らぐ体験をしたので、仏教の修行に活用しようとするのも、なんとなく分かる気がしました。

しかしこれは、現実社会を忙しく生きる人にとって、何か実際的な価値があるのかとは別の話であるし、さらに離人・解離症などのリスクにも関係するのではないかとも思うところです。

関連note:【怖い?】明晰夢は危険なのか? ↓ ↓