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瞑想の副作用かも② 「悪夢障害」が急激に改善。「心の浄化」は大切かもしれないと思った件。

「悪夢障害」のせいで精神状態が一気に悪化したのですが、そこから急激に回復した話です。
前回↓↓からの続きです。

憑依されたかもと思った、、、笑

今現在では瞑想は社会的にも認知され、科学的な研究も行われています。

しかしもともとは宗教を含めた精神世界系の実践だと捉えられていたと思われます。
そして精神世界系の人というのは頭のネジがおかしな人が多くて、おかしなことをしょっちゅう言っているわけです(私も今では十分に変なことを言う精神世界系の人なわけですが)。

「神仏の加護を祈ったり、場を浄める儀式をしたりしないで瞑想すると、悪い霊的な存在に憑依されるよ」と大真面目に語る人にも出会ったことがあります。
「アホか」と思いました。

しかし悪夢が続き、前回の記事にあるような異様な「ヤバイ夢」を見た上に精神状態も急激に悪化したので「ホントに憑依とかあるかもしれない」とも思いました。
それだけ異様な感覚があり、精神的に弱り参っていました。

インスピレーションで一気に回復

とにかく数年前に経験した酷いうつ不安の再発を身構えるほど、状態が悪かったのです。
以前は瞑想によって急激に回復したのですが、今回は同じように瞑想してもどうしようもなかったです。

坂道を転げ落ちるように精神状態が悪化していき「どーすればいい??」と右往左往していた時に、数年前と同じようにインスピレーション(内なる示唆)があり、それに助けられたのです。5月末のことでした。

その示唆に従ったら急激に状態が回復しました。
6/5の夜に「ファクトチェックの記事」に情報を追加したことを告知するnoteつぶやきを投稿(現在は削除済み)したのですが、その時には既に回復していました。

インスピレーションの内容

インスピレーションはイメージ、思念の塊みたいなのがフッと心に浮かんだり「衝動」みたいなのを感じて、それらを「翻訳(解釈)」するというようなものが多いです。
またインスピレーションだと思っても、結局は役に立たないガラクタなアイデアだったというのも私の場合は多いです(翻訳が悪いのかもしれませんが)。

今回のインスピレーションの内容は次のものでした。

・危険な状態だ。このまま何も対処しなければさらに悪化して酷いことになる。精神が破綻して狂気に陥る可能性がある。

・この状態の直接的な原因は、自らの意識の内に向かうという実践において心の浄化を怠ってきたせいだ。
霊性愛他性が重要であるという示唆がたびたびありながらも、それに真面目に取り組んでいない。

・自らの意識に向かうという実践にありながらも、意志と精神の方向性が定まっていない。これもこのようことになった原因の1つだ。
 方向性が定まっていないため意識の内にある悪性の影響力に曝されている。このような意味においては憑依とも言える。

・応急処置としては今すぐにでも強い信念(信仰)を持て。そうでなければ悪化に歯止めがかからない。

霊性(愛他性)への取り組みについて

まず私が「霊性愛他性に真面目に取り組んでいない」というのは、正しいように感じました。
愛他性に関しては、、世の中を見れば分かるように「愛他性(利他心)ばかりでやってられるか」というようなことが多いです。
自分自身でも戸惑うことでもあります。

霊性に関しては、この瞑想する人noteではそれを「内なる意識に関すること」としています。

私自身は現時点では霊性、内なる意識というのを必ずしも神秘的なもの、宗教的なものとは解釈していません。信仰の対象ではありませんでした。

結局のところ霊性、内なる意識であれ、神秘体験や生命エネルギーの体験であれ、インスピレーション(内なる示唆)であれ、そういったものは他の意識状態や思考、感覚と同様に脳の物理的な活動によって生み出されるものだと考えているところが、私にはあります。
つまり唯物還元論です。

総じて霊性(愛他性)への取り組みということでは、確かに自分では大切だとnote記事にしながらも軽んじていました。
正直戸惑っています。

しかしこういったことを軽んじたまま内なる意識に向かうということを続けた場合には、いずれ再び闇落ちすると示唆されています。

まぁ、なんとかしなければなりません。

信仰について

単刀直入に言いますと、私は宗教の信仰をバカにしていたところがあります。
過去に、少し付き合いのあったプロテスタントの牧師をしている人の前で「イエス・キリスト贖罪説は現代では何の価値も無い」といった意見を述べてしまい疎遠になったことがあります。

「宗教は虚妄であり、信仰には意味が無い」と思っていました。

今でもそう思うところがあります。

過去にヴァジュラバイラヴァを自分のイダム(守護尊)にする夢を見たことがあります。
ヴァジュラバイラヴァ↓↓

スピ系の人なら、普通はヴァジュラバイラヴァという霊的な存在を信じて、実際にイダムになったと信じるのかもしれません。 

しかし私は信じてません。ヴァジュラバイラヴァであれ、不動明王であれ観音菩薩であれ、昔の仏教徒の想像(妄想)の産物だと思っています。
仏教修行者が瞑想中にヴィジョンで見たりはあったとは思うのですが、どちらにしろ想像の産物だと思っています。

だいいち、中国人民解放軍がやってきて忠実な信仰者を酷い目に遭わせていた時に、外敵、災厄から強力に守護するとするヴァジュラバイラヴァであれ獅子面のダーキニーであれ、チベット仏教のおっかない忿怒尊達はいったいどこで何をしていたんだ?
獅子面のダーキニー ↓↓

今現在もいったいどこで何をしているんだ?三密回避のステイホームで自粛中なのか?

超自然的な存在を信仰することが、私にはとても難しいと感じられます。

でも内なる意識を信じた

しかし精神的に追い込まれていたので、インスピレーションに従い、とにかく内なる意識を信仰対象として、敬虔な宗教信者のように信じるようにしました。

また内なる意識の信仰のもと、自分の理解の及ぶ範囲内で少しずつであったとしても、霊性(愛他性)にもっと真面目に取り組んでいこうと思うようにしました。

細かいことは放っといて屁理屈は後でゆっくり考えればいいやと思うようにして、とにかく今は内なる意識を信じ、内なる意識が私を導くだろうと信じ任せるようにしました。
つまり宗教信者のような信仰を、不本意ながら持つようになりました

関連note:私なりの無記・中道の模索③ 「内なる意識」の信仰

内なる意識を信じるようにした後の、まさにその睡眠でずっと毎日続いていた不気味な悪夢を見なくなりました。
精神状態の回復には2、3日くらいかかりました。とにかく6/5夜には回復していました。

めでたし、めでたし。

関連note↓↓