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桜の咲くころの思い出~【先天性心疾患の娘の病気の記録】

2年前の春に描いたこの絵。娘の入院に付き添って、何か月も泊り込んでいたときに、病院の休憩所で描いた1枚。
外は春がやってきているのに、年中同じ気温で風の感じられない病院内。外に出ると息を吹き返すようで、太陽の光や緑が嬉しくてたまらなかった。たしか、退院直前だったと思う。

すっかり忘れていたそんなことを、今日は思い出した。やりたいことを、やったにする。そのことに集中しはじめて今日で64日目。
忘れることができるって、なんて幸せなんだろう。

娘が、産まれてはじめて、病院からお家に帰ることができたのは生後9か月のある日。桜の咲く頃だった。
わたしは、自分の家に大好きな人をはじめて連れて帰ることができる!と恋人を連れて帰るかのような気持ちでそわそわ落ち着かなかった(笑)しかし同時に、今まで看護師さんや先生たちに囲まれて、ずっと見守ってくれる目があり、何かあった時に助けてくれる人がいる環境で生活してきていたので、自分たちだけでの生活が一体どんなものか緊張するし想像もつかなかった。
当時のわたしたち夫婦の夢は、本当にささやかで小さなものだった。「娘のおむつをかえること」「娘をだっこすること」「娘と3人で川の字で寝ること」・・・そんなささいなことさえも、当初、大量の管につながれて点滴を受けている状態の娘を見ると思い描けなかったから、いつ叶うともわからなかったから、とにかく必死で思い描いた。生後何か月も、他のお母さんのように赤ちゃんのお世話ができないかわりに、「見守り、思い描く、祈る」それがわたしの役目だったし、それしかできなかった。でないと、死の方にひっぱっていかれて、気持ちがつぶされそうだったからだ。
当時、友達が、元気に走り回る娘の夢を見たと教えてくれ、励ましてくれたが、生き延びても口から食べることができるのか、呼吸が自分でできるのか、歩けるかさえわからないのに、そんな励ましがただのふわふわした雲の上のことに思えた。それを、ひとつひとつクリアして、元気に走り回る今の娘の姿がある。とうてい信じられないけれど、起こりうるのだなぁ。

本当に気の遠くなるような医療スタッフさんの働きと、治療と管理、彼女の頑張りと生命力、わたしたちの祈り・・・紆余曲折の一歩一歩の道のりを経て、おむつもはじめて親がかえることができ、はじめてわたしが添い寝をすることができた。そして、2年前の桜のさく頃に、はじめて家に帰って家族3人で川の字で寝ることができたのだった。

(64日目/1000)

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