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努力もしないやつに、微笑む神はいない

タイトルの言葉は自分が尊敬している芸能人の方の言葉。
本当にこれにつきるなと思う。

自分は小さい頃から今まで努力をしたという記憶が一切ない。
努力ができない人間なのです。
正確に言うと"努力の仕方がわからない"

努力ってなんだろう。本当に。
努力ができる人間が羨ましくて仕方がない。

自慢じゃないけど小学6年生くらいから自分はなんでもそつなくこなせるタイプの人間だった。
いわゆる「器用貧乏」とかいうやつ。
ただし"勉強以外は"だけど

勉強だけはやらなかったからできなかった
やっていたら出来てたかもね(?)

それこそ小6からクラブ活動ではじめたバスケットボールなんかは初めて試合に出た日にミニバスのコーチに「センスあるね」と褒められて気に入られるくらい。
絵も模写はそれなりに描けたし歌もどちらかと言えば上手い方だったと思う。中学のバスケ部では1年から番号を貰ってもちろんスタメンだったし副部長もしてた、なんでも平凡以上にはできる人間だった。
だから努力を全くしたことがない。
やれば普通にできてしまっていたから。
でも自分のいちばん悪い所はそこからの向上心がないことなんだと最近気づいた。

向上心というものは持ち合わせてなかった。

モチベーションすらなかった。


努力してきた人ってどんなモチベーションがあったんだろうなってつくづく思う。
何がそんなに貴方を熱くさせたの?って聴きたい。
自分には未だに何も無いから。
いや、あるのかもしれないけど
「頑張りたいなあ、頑張らなきゃなあ」と思って終わり。
行動に移せない。
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この文章を下書きに残してから2年が経っていた。
自分が未だに努力できているかは分からない。
だけど少しは変われている気がする。
というより変わっていて欲しいな、、、

noteを初めて投稿した年の10月から芝居の勉強を始めた。
それからもう1年以上。
夜間のスクールで学び始めて去年の5月から今年の3月までは事務所の養成所で学んでいた。
いろいろなことを学んだけど経済的な理由でレッスンに通うことが難しくなってやめた。
スクールに通い始めた時「これで役者になれなくてもいい、カリキュラムが修了した時に通う前より自信を持って堂々と生きられるようになれたらそれで十分」という気持ちで通い始めたけどやっぱり何も成し遂げたことがないから悔しくてレッスンは受けられなくとも自分で舞台や朗読劇やら探してオーディションを受けている。
オーディションに受かって稽古に行ってみると突きつけられる自分の実力不足、基礎力不足。
なぜ私が合格したのか全く理由がわからない。
オーディションを受けるまでは自信があった。
自信があったと言うよりは「絶対に受かる」という気持ちで行かなければ心が折れてしまいそうだった。
いざ受かってみると役者の卵たちの中で声をあげられない自分。やりたい役に手をあげられなかった。ここで後悔。
人って簡単には変われないんだなと絶望。
今まで何事にもついてこなかった根拠のある自信ってやっぱりそれに向かう自分なりのプロセスがあって成功したときにしか得られない。
私にはそれがなかったから。根拠の無い自信しか持てたことがなかった。
だけど
だけどね、少しは変われてるなって思うの。
ほんの少しだけ。
役者なら当たり前だから笑われてしまうかもしれないけど毎日コツコツ発声練習を始めた。
作品に出演するという意識が、お金を払って見に来てもらうという意識がわたしの中で私の心に影響を与え始めた。
今までの自分だったらどうだろう。
端役だから適当にそれなりにやっていたかもしれない。
だけど今は少しでもほんのちょっとでもいいから良くしたい一心で努力をしている気がする。
結果に出ない努力は意味が無いかもしれないが。
これが成功体験に繋がれば私にも根拠のある自信を持つことが出来るかもしれない。
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最近またハリーポッターを見返していて秘密の部屋の最後の方に出てくるダンブルドアの言葉がとても刺さったから書き留めたい。

「自分が何者かは能力で決まるのではない。
どんな選択をするかじゃ。」

なんかまた文章ごちゃごちゃで何が言いたいかよくわかんないけどまあ自分の備忘録って感じで残しておきたいから投稿します。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
なにか意見を持ったり感じるものがあれば嬉しいです。
ではまた。

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