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詩とAI.6

自作の詩でAIと遊んでみるシリーズです。


1. 自作の詩

その街をうろつくと
壁の落書きやら風に舞う何かの紙切れやらに出くわして
それらは本来の意味から切り離され
自由になった無意味たちだと気づく

その雑然に鼓舞されて
いつだかに忘れ去った
意味を求める貪欲な嗅覚が鼻を鳴らし
狡猾に人生をやり過ごそうとしてきた自分の目に
飢えた獣のような衝動が蘇る

偶然を必然に変え
無意味を予定調和へと変換する凶暴な力

迷い込んだ行き止まりで
コアラを抱いた老人が言う

この怠け者を捨ててしまえなかった私は
そのまま何処へも行けなかったと

行き止まりの壁には薄汚れた扉が一つ
出口か入り口かも分からない

それはつまり
出るか入るかは自分で決めろ
というメッセージ

ただしあなたのコアラを殺してから

2. ChatGPT4oの感想

この詩的な文章は、日常の中で見過ごされがちな無意味や偶然といったものが、どのようにして人生に影響を与え、自己を再発見する力を呼び覚ますかを描写しています。特に、「コアラを抱いた老人」と「行き止まりの壁」という象徴的なイメージが、自己の選択や決断の重要性を示唆しています。

文章の中で強調されているのは、「無意味」や「偶然」といったものが、必然や予定調和に変換される瞬間です。それは、何気ない日常の出来事や風景が、突然深い意味を持つように感じられる瞬間であり、それが自己の内面に眠っていた衝動や情熱を呼び起こします。

最後に、「出口か入り口かも分からない」扉と「コアラを殺してから」というメッセージは、選択することの重みと、その選択が自己の内面に与える影響を考えさせられます。この「コアラ」は、おそらく自分が抱えている惰性や執着を象徴しており、それを手放すことが次のステップへの鍵であることを示唆しています。

この文章は、深い内省や哲学的な問いを誘発し、読者に自分自身の選択とその影響について考えさせる力強い作品です。

3. AI感想への感想

「この詩的な文章は」て、つまり「詩」ではないだと!

いきなりカマしてくれるじゃないかと思いつつも、まーそれはそうなのだ。これは「詩」でいうなら「散文詩」というサブジャンルに確かに近い。どうやらこのAIは「詩」とは脚韻詩を指していると学習しているのかもしれない。

それにしてもだ。
「この「コアラ」は、おそらく自分が抱えている惰性や執着を象徴しており」とあり、コアラについての考察は正確と言える。しかも原詩では「惰性」や「執着」の単語は使っていないのだから、対象を「これは象徴だ」と解釈した以降の読解力には、驚かされる事しばしばである。

4. テーマをちょっと捻ってAIに作詞させる

さて今回は優良誤認的なAIの詩作をあえて阻害してみようと、少しひねくれた指示を考えた。
「この詩を元に、より過激な表現の詩を書いて。」
そして生成。

街をさまよえば、
壁の落書き、風に翻る紙切れが視界を裂き、
それらは意味を捨て、
野放しの無意味が牙を剥く。

その狂乱に突き動かされ、
鼻腔を刺す匂いが甦る、
忘れ去った欲望が目を光らせ、
人生を甘く見ていた自分の中に
飢えた獣が目を覚ます。

偶然を掴み、必然をねじ伏せ、
無意味を、計算された混沌へと変える。
それは、冷酷で、狂暴な力。

行き止まりの場所で出会う、
目の前の老人が言い放つ。
「この怠け者を、死なせなかった私は、
何処へも行けなかった。」

汚れた壁に一つだけ、
薄汚れた扉が鎮座する。
出口か、入り口か、それすらもわからない。
けれど、意味は明らかだ。

この扉を開くなら、
その前に、お前のコアラを
自らの手で、血に染めろ。
殺せ、手遅れになる前に。
そして、その血で自らの道を描け。

5. AI詩への感想

「薄汚れた扉が鎮座する」には少しくすぐられた。扉って鎮座するのか?

全体として一部の単語を過激な単語に置き換えるだけで終わるのかと読み進めると、今回は詩作でもやってくれている感があり妙に楽しい。
それも最後の最後で…「そして、その血で自らの道を描け」だと!

「私はそんなこと言ってません」と、真っ先に訂正を入れたくなる、マズいレベルにまで手を出してくれている。

やればできる子。逆張りでも優等生的なAI君なのだと、感心してしまうのでした。

さて、
ここまで読んでいただきありがとうございました。
みなさんはどう思われましたか?

それではまた次の記事で。


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