6月4日授業ふりかえり

毎週更新をめざしているものの、ちょっと忙しくなってしまって、もろもろ遅れ気味の今日この頃です。さて、今回は三幕構成の続きということで、演繹法とのその活用法について説明しました。三幕構成はそれほど重要ではなくて、演繹法について説明することが目的だったんですが、なかなか良い例がなかったんですよね。それで「作家をめざすなら三幕構成は基本中の基本」→「ここから演繹法につなげよう」と考えた、というわけです。

実際、演繹法について説明する時に(最初の授業がまさにそうでしたが)、混乱しがちなのが三段論法の存在です。スライドにも書きましたが、数学の証明問題と違って「A=B でB=Cだからといって、A=Cとは限らない」んですよ世の中は。佐藤君と鈴木君が友達で、鈴木君と中村君が友達だからといって、佐藤君と中村君が友達とは限りませんよね。二人は友達の友達、すなわち赤の他人なんですよね……。

その上で先にやった帰納法とあわせて、取材記事の書き方にまで論を広げました。記者は通常、取材テーマを決める際に帰納法的な考え方をします。いくつか下調べを進めていって、そこから共通のテーマを引っ張り出すんですね。そして、それを仮説に据えて実際の取材活動を進めていきます。その上で仮説の検証や肉付けを行いながら、最終的な記事に仕上げる……すなわち演繹法を応用するというわけです。

このとき、仮説の立て方が強引だと、記事自体が強引な内容になってしまいます。時には間違った仮説を強引に肉付けするために、都合の良いデータやコメントだけとってきて、記事にしちゃうことも……最近よく言われる「マスゴミ」的な記事のできあがりですよね。これもまた、帰納法の「早すぎた一般化」によって誤った結論が導き出され、それを大命題とした結果、演繹法における誤った結論が導き出されてしまった……とまとめられます。

また、弁証法の連鎖によるストーリーの転がし方についても説明をしておきました。スライドにもあるとおり、弁証法は19世紀の教養小説と非常にマッチした側面があります。産業革命によって伝統的な農村共同体が破壊され、都市の工場労働者が増加した結果、文学がどのような価値観を提供できるかが問われた時代があったんですね……。「人は自由だ」「でも、誰もが自由に生きられるわけではない」「ではどうするか」といった具合です。

もっとも、この手の弁証法的なストーリー展開はベタすぎて、小説ではあまり人気が出ないような感じもあります。もっとも、少年マンガやファンタジー小説などでは話は別。実に王道のストーリー展開ですよね。そして現実が世知辛くなっていけばいくほど、エンタテインメントの世界では、こうした王道のストーリーが求められるのかもしれません。というわけで、この弁証法によるストーリー作りは、覚えておいても損はないだろうと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?