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世界観のディティールを描き出し、色彩を重ねていく

タイトルについて。

少し納得がいっていないのだが、暫定的にこの表現にしておく。

納得がいかない、というのは、何だか伝えたいことを頭の中から取り出して言葉にしたときに、それがそのまま取り出せないもどかしさである。

ぴったりくる表現がない。

あるいは、僕がこれまで出会ってきていないだけかもしれない。

日常会話を英語に直したときに「なんか違うな」と感じる、あの感覚に近い。

言いたいことと違う。

が、何となく意思疎通はできるという状態。

まあ、生活において大きな支障はないわけだが、自分の中にはもやもやが残るあれだ。

今回のタイトルについても、僕が伝えたいことが100%言葉に落とし込めているわけではないのだが、大きな支障はない。

(いつかしっくりくる表現を見つけたいなと思う。)

「世界観のディティールを描き出し、色彩を重ねていく」

僕が今思うにしっくり来ている、世界観を洗練させていく手順、方法について書きたいと思う。

手順や方法とは言ったものの、マニュアルのように順序よく整ったものではない。

かつ、おそらくマニュアルのように再現性があるわけでもない。

別にそれでいい。

このnoteに書いてあることは、他ならぬ僕が見返したときに理解できればいいと思っている。

だから、ふらっとこのnoteに立ち寄って、入り口から覗いているあなたは、どうぞ道に迷うつもりで入っていただきたい。

その入り口から踏み込んだ先は、森かもしれないし、洞窟かもしれないし、迷路かもしれない。

あるいは四次元ポケットの中のように、道もなければ壁も天井もない、不可思議な空間かもしれない。

とにもかくにも役には立たない。

それだけは保証する。

さて、何が納得がいっていないかというと、「ディティールを描き出し、」という部分だ。

僕は自分の頭の中にある世界観をイメージするとき、ぼやっとした概念的で抽象的な空想世界が広がっている。

基本的には町のような村のような林のようなそんな空間だ。

ときには海があったり、山があったりする。

抽象概念なので、マインクラフトのような固定された具体的な空間があるわけではなく、変幻自在で時によって姿を変える。

だから、自分の "世界" ではなく "世界観" と言っている。

僕が何か「良いな」「心地いいな」「美しいな」「綺麗だな」「懐かしいな」など心が動いたときに、その世界観の中に何かが成り出でて、色が付いていく。

既にある色に、色が重なって変わっていくときもある。

成り出でる、というイメージは日本神話の始まりに似ていて、何もないところから神や神の成り損ないや人間などが、大地からぐにょんと誕生する雰囲気だ。

脱線するが、この辺りが西洋の世界の成り立ちと違って面白い。

西洋では基本的に唯一神がいて、その神が天地を作ったり、人間を作ったりする。

しかし、日本では世界は "成り出でる" ものである。

つまり、そこに何者かの意思はなく、自然にそこに在るという発想である。

この発想は、僕の発想と非常に近い。

というか、日本に生まれて日本に育った僕なので、日本神話的な影響を僕が受けているという可能性が高い。

日本人だなぁ、と思う。

僕の世界観が洗練されるとき、つまりディティールが明確になっていき、色が塗られていくとき、作るという感覚はない。

勝手に出来上がっていく。

マインクラフトのように、ここにビルを建てて、ここに木々を植えて、という作業ではない。

そうではなく、自然に何かが成り出でて、色が付いていく。

記憶が不確かだが、確か夏目漱石の『夢十夜』に運慶という仏師がいて、木を彫って形造ることで仏が出来上がるわけではなく、そもそも木は仏であってそれを彫りおこしていくのだ、というような話があった気がする。

違うところで聞いた話かもしれない。

とにかくそのようなイメージだ。

既に僕の中には朧げな世界観があって、何かに触れることで輪郭やディティールがはっきりしてきて、彩度が上がっていくという感覚である。

そして、世界観が洗練される引金になるのが、現実世界で触れた、見聞きした、感じた、「良い」という感覚である。

良いものに出会う。

ものに限らず、人でも雰囲気でも、何でもいい。

とにかく僕自身が「良い」と感じる事が大事だ。

だから、世の中の評価や他人がどう思うかというのはまったく関係ない。

他ならぬ僕の直感に照らして、良いかどうか。

それだけだ。

だから、僕はお金に執着しない。

値段が高いというのは、世間的に価値があるとされているということであり、世間の評価である。

高級フレンチ。

高級車。

高級家(?)。

値段が高いからと言って、僕にとって必ずしも良いものであるとは限らない。

例えば、1人数万円もふるフレンチのコース料理より、目玉焼きを乗せて焼いたトーストに、自分で淹れたコーヒーのほうが、僕にとっては何倍もの価値がある。

もちろん、良いものである可能性も同様にある。

しかし、一度世間の評価は忘れて、自分の目で見て、匂いを嗅ぎ、耳を澄ませて、ただただ感じてみる。

そのようにして「良い」と感じたものは、僕の世界観を豊かにしてくれる。

それが本当の豊かさだなと思う。

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