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洋楽と邦楽のメロディーの違いについての考察

洋楽と邦楽の違いは色々とありますが、今回はメロディーに特化して考えてみたいと思います。

そもそもメロディーとは、その作り手の記憶の蓄積から逃れる事は非常に困難だと思うんです。

例えばリズムや編曲に関しては、その時代の流行を分析し真似すれば同様のモノは作れますが、メロディーでそれをやるのはちょっと難しいんですね。それはなぜかというと、やはり自分の好みに走ってしまうからです。

つまりリズムやアレンジは勉強さえすればなんでもできます。例えばこの曲はボサノバ風にしようだとか、タンゴ風にしようだとか、或いはストーンズっぽくしようとか、デトロイトテクノっぽくしようとか。

でもメロディーは自分が思いついたモノを◯◯風にしようとは作者はなかなか思わないんです。なぜなら作者は自分で思いついたメロディーを良いメロディーと思っているから。なかなかそれを変えようとはしないんです。

では良いメロディーとは何か?

そこに本題である洋楽と邦楽の違いが出てきます。はじめに書いたようにメロディーとは作者の記憶の蓄積から出てくるので、子供時代からどんな音楽を聴いてきたかが非常に影響します。

僕は小学校低学年の時からゴダイゴを、高学年ではマイケル・ジャクソンやカルチャークラブ、クイーン他ベストヒットUSA的な80年代ヒット曲を聴いていました。邦楽は高校時代にZiggyやレッドウォーリアーズを聴いたくらいです。なのでほとんど洋楽を聴いて育ちました。

逆にずっと邦楽を聴いて育ったという人もいるでしょう。もちろんどちらが良いという話ではありません。ただ確実に違いを感じる箇所があります。

それは日本語と英語の違いと言っても良いかもしれません。

日本語の歌はその特性上、どうしても同じ音の羅列を避けられないと思います。なぜなら日本語は基本1音に対して1語なんです。例えば「こんにちは」という歌詞があるとしたら普通はドレミファソみたいに5音必要です。すると1音に込められる情報量が少ないので必然的に同じ音を繰り返し言葉を詰め込まなくてはなりません。するとメロディー全体が平坦な印象になりがちです。

対して英語であれば「this is a pen」と歌う場合4音で足ります。ディス・イズ・ア・ペンという感じですね。であればメロディーはそのまま楽器で演奏してもその美しさは損なわれません。逆に邦楽をインストにすると非常に平坦に聴こえる場合はこういった事が原因かと思います。

では歌詞は全て英語にすべきなのか?というとそんな事はありません。僕と妻のユニットKONNODUOの楽曲もほとんど日本語詞です。ただ言葉数を極限まで減らしています。そうする事でメロディーが持つ本来の美しさを損なわずに済みます。因みにこれは僕がメッセージソング等の歌詞の内容を重視した音楽が苦手な理由でもあります。

まとめると洋楽と邦楽のメロディーの違いとは日本語と英語の違いである。そしてそれは日本語の場合音数を増やさないようにすればメロディーの美しさは損なわれない。と個人的には考えます。例えばこの曲のように。



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