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間口の広さと深さは反比例する!

好きな食べ物と天気の話は、初対面の人との気まずい沈黙を避ける為にとても便利な話題です。何故なら食事をしない人はいないし、天候に左右されない人もいないからです。

でもこの手の間口の広い話題というのは、万人向けであると同時に、そこから深いところまで気が合って、関係を深め合えるところまで発展するかというと、その可能性はとても低いと思います。つまり間口は広ければ広いほど万人を受け入れられるが、内容はどんどん薄っぺらなものとなるという事です。

君も雨嫌いなの?えー僕も雨嫌いなんだよね!濡れるから。うわー凄い偶然だね。僕達気が合うね!

なんて事にはなりません。

これは何にでも当てはまる話です。例えば本…書籍、紙媒体、呼び方はなんでも良いのですが、紙に何らかの文字が印刷されているものと定義してみます。

何かの専門書より小説の方が間口は広いでしょう。小説より漫画の方が間口は広いでしょう。しかし耐用年数で考えると、需要さえあれば専門書は重版され続けるでしょう。小説もスタンダード化され、更に古典化されれば半永久的に存在します。しかし一番間口の広かった漫画はどうでしょう?ごく一部は残るかも知れませんが、ほとんどは消えていくでしょう。

大量消費を良しとする現代においては、間口の広い商品を開発して利益を上げる。そしてまた次の間口の広い商品を開発する。そのサイクルを維持しなければなりません。なので間口の広い商品はある程度の期間で淘汰される必要があるのです。そうしないと次の商品が売れないので。このサイクルが「流行」と表されるものなのでしょうか?

僕の専門は「音楽」です。ポップミュージックです。大衆音楽とも言います。現代では大衆音楽も細分化され、その中でも間口の広い狭いがあります。一番広いのは流行歌…テレビやラジオをつけたら否応なく流れているいわゆるヒット曲です。逆に間口の狭いものは、と言っても大衆音楽の時点でその他の音楽…例えば現代音楽等。に比べれば全然広い方ではあるのですが、ある地域でしか盛んでは無い音楽は世界的に人気なジャンルに比べたら間口は狭まります。

本来、音楽を作り出すという行為は、良い作品を作りたいという欲望の元に行われるべきであるのに、上記のような流行商品に感化され影響された音楽家達も存在していて(僕もその一人です)マーケットを意識していないつもりなのにマーケティング戦略に則った手法で作成しています。

芸術と商品の垣根はとうの昔に崩壊し、今はただ混沌があるのみです。

なんだか今日のnoteは「裸のランチ」的に訳の分からない文章になりました。そんな日もあります。(いつもだろって)


妻と僕のニューアルバムです。よろしくお願い申し上げます。






私の創作活動の対価としてサポート頂けましたら、今後の活動資金とさせていただきます。皆様よろしくお願い申し上げます。