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大衆音楽は民主的?宮廷音楽は独裁的?

最近、本当に久しぶりに新曲が出来ました。と言ってもこの「出来ました」とは僕にとっては「1コーラスをAメロからサビまで全て思いついた」という意味なんです。なのでまだ編曲や実際のプログラミングからレコーディングなど完成まではまだまだ長い道のりなのですけれど、でもこの「骨格」が出来ればある意味もう頭の中では「完成」も同然なのです。

僕にとって作曲というのはとても個人的な作業で、妻に任せるフルートパート以外は全て僕一人で賄っています。そのフルートパートだってイントロとかエンディングなど音符で指定する事も多々ありますし。もちろんソロは任せますけど。

レノン・マッカートニーとかジャガー・リチャーズとか優れたソングライティングチームも存在しますし、決してそのような方法論を否定するつもりは全くございませんが、僕はただ単にそういった人材に恵まれてこなかったので一人で行っているだけなんですけど。

でもチームで作曲するって大衆音楽以降の文化なのかな?って今コレ書いてて思いつきました。クラシックの時代にはないですよね?どうなんでしょう?Aメロをラヴェルが作ってサビをドビュッシーが作ったなんて無いですもんね?

そう考えるとバンドってとても民主的で、対してクラシックの時代の作曲家は独裁的です。これこそ大衆音楽と宮廷音楽の違いなのかも知れません。

おお!特にテーマを決めて書き始めた訳じゃないのに、今日のnoteなんだか壮大なテーマになってきましたね。

僕もどっちかというと独裁的に曲を作りたい人なんですよね。単にわがままなだけだろ!って評価もされそうですが、芸術ってわがままじゃなければ出来ないんです。もちろん現実的なしがらみは沢山…うんざりするほど有って、というかむしろ自由に出来る事の方が本当少なくて、でもその中でもがき苦しみながらも出来た作品にこそ真の美しさが宿るのではないでしょうか?

なんてなかなか終わらない梅雨の最中に暑苦しい事を書いてしまいました。

僕、こんな曲を作っている人です。




私の創作活動の対価としてサポート頂けましたら、今後の活動資金とさせていただきます。皆様よろしくお願い申し上げます。