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空っぽな心

なにか言葉を綴れる気がして
久しぶりにnoteを開けてみた

けれど、うまく表現できない気もする

今まで文章を書くことを
苦手としたことがなかったが
今は苦手だ

でも、なにか書き留めたくてたまらない


最近、私は老けたと思う

年齢的に見ればもちろん若くはないけど
自分で『おばさん』と思ったこともないし
そう呼ばれることにも抵抗があった

でも、ここんとこ、鏡を見るたびに思う

体は締まりがないのにヤツれて見える顔
チカラが宿っていない目
セットしてもセットしても決まらない髪

ほとほと自分が嫌になる


誰かと会いたい
誰かと会って話したい
お酒を酌み交わしてゲラゲラ笑いたい

そう思うのに
こんな覇気のない今の私を見せたくない
締まりのない体も見せたくない

そうも思うと誰も誘えない


なぜ、元気が出ないのだろうと考えると
要因は、ちゃんと自分でわかっている

ただただ、暮らしているからだ

なにかしなくてはいけないのに
なにもしていないからだ


前は、のんびり好きなところに行き
好きなモノを食べ、飲んで
そうやって好き勝手生きてくのが
楽しくてたまらなかったのに
今は、そうすることが悪い気がしてできない

夫のお金だけで生きてくのが
どうにもこうにも嫌になってきて
だから、なにかしたい

のに、なにもできてない

そして、極め付けが

思ってるのに動こうとしない自分に
心底腹が立ち、それが
自分を苦しめてること

これがたぶん、老けた原因


私は、なんのために生きてるんだろ

とまで、思うようになった

稼ごうと思ってはじめたいろいろも
すべて中途半端でうまくいかない

もちろん、うまくいかないのも当たり前だ

だって、努力も中途半端だからだ


52歳という年齢
更年期もあり、体調も精神的にも不安定になる

そんなこともホントは理由にはしたくない
歳だから、とか言いたくない
ホルモンバランス?更年期?
それも言いたくはない
そんなもん、気合いでどうにかなるはずだから

実際、精神的に不安定な時も
なにかしら動いていたら忘れる
行動にうつしてるときは考える暇もない


結局、なにもしてないから
ハッキリ言って【暇】だから不安定になる

こんなことを思っていた今日
こんな本を読んだ

この本の中での
著者、内田也哉子さんと
キョンキョンとの対談の話


いつも自分に厳しく、
感情の始末をし続けて辛くなったり、
弱音を吐くことはないのか
という、也哉子さんの問いかけに
キョンキョンは

「誰かに愚痴を言っても
気持ち悪いだけだから……
自分ひとりで部屋の掃除とかしながら
『ああ、死にたい』
『ああ、自分、死ねばいいのに』
『はあぁ、でもそういう訳にいかないから
会社行くか!』って
こんな悪い独りごと言って…
ほんと馬鹿みたいでしょう?」

と、笑って応えている


なんか、これを読んで救われた


私も、人に愚痴るのは好きじゃない
いつの頃からか愚痴らなくなった

なんでかわからないけど、これを読んでわかった

誰かに愚痴るのが気持ち悪いからなんだ、と

でも、きっと、最近の私は
なにかわからない、
到底、言葉に表すことが難しいこの感情を、
どこかで発したかった

特に今日はそうだった

でも、こんな時
じゃ、誰に?と考えたとき
頭に思い浮かぶ人がいない

数人浮かんだけど、
みんな忙しいだろうと思うと
連絡もできない

ちょっと飲みに付き合って

と、軽く言って出てきてくれる友も
私にはいない

今まで生きてきて
そんな人もいないなんて
なんだか少し寂しくて
それも相まって、だからこそこの本を読んで
救われた気がした


みんな、独りぼっちだ、と



今日、仕事休みの夫と娘を放って
私は昼からひとりで外に出てる

家にいても独りぼっちだったから
外に出た

家族なのに、親子なのに
遠慮なく言い合える仲であっても
得体の知らない感情に襲われ
自分を落ち着かせるために
外に出た

いつもはひとりが好きだけど
独りぼっちだ、と感じたことがなかった

こんな感情はいつぶりだろ


たまにはいいのかもしれない


独りぼっちのとき、
ちゃんとひとりでいれない人間が
どうして誰かを大切にできるだろう

独りぼっちのときは
自分と向き合う

自分の中の声をちゃんと聞く
そして従う



そう思ったら
なんだか明日から頑張れる気がした

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