映画『そこのみにて光輝く』感想—底のみにて光り輝く希望

呉美保監督映画『そこのみにて光輝く』の感想を書き連ねる記事です。
※ネタバレ満載なのでご注意ください!

☆はじめに
 漫画『ミワさんなりすます』の第十二幕のタイトル『そこのみにて光輝いていた』の元ネタの映画ということで興味を持ち、『そこのみにて光り輝く』を視聴。映画は自分がハマらない作品だと見るのを途中でやめることも多いのですが、この映画に関しては集中力が持続して一気に観ることができました。私は「ひとつのシーンの美」に惹かれる傾向があり、この映画は一つ一つのシーンの魅せ方が綺麗だったので気付けば見入ってしまったのだと思います。
 以下、私が良いと思ったシーンと、最後にこの映画全体に関する感想を述べます。

☆良かったシーン
・海で達夫と千夏がキスするシーン。達夫が沖まで泳ぎに行って、その後千夏が達夫の方へと泳ぎにきて、達夫の方も千夏の方へ泳ぎに行くシーンは、引きのカメラ構図もあってドラマティックだった。織姫と彦星的なイメージだったのだろうか。二人が互いのもとへとたどり着いた時の安堵感と高揚感を、観客も容易に想像できた。

・千夏が父の性欲処理をしていたことを達夫が知った後、あじさいの花を手でもぎり取ろうとして、水滴が手のひらにたくさん流れるところ(おそらく精液の暗示)は、千夏の体験を達夫が追体験しているかのような演出で、良かった。

・千夏が中島に殴られたのではないかと考えて、拓児が自転車に乗って祭りへ赴くシーン。劇伴が少ないこの映画だが、ここでハーモニカ?のうらさみしいながらもどこかあどけない音色が響き渡るところは、拓児の内面を表しているようで印象的だった。

・拓児が中島を刺した時、千夏が以前達夫に「(拓児は)酔って喧嘩して人刺したのさ。日雇いで一緒になった人らしいんだけどね。でもあいつ、喧嘩した理由も覚えてないんだよね。ちっちゃい頃は泣いてばっかりだったのに、一人でも平気なフリするようになって」と話していたことを思い出した。中島を刺した経緯を考えると、拓児が以前人を刺したのももしかしたら姉や家族を侮辱されたからで、ただそれを千夏に話すと千夏を傷つけてしまうから言わなかっただけなのかもしれないと思った。

・中島を刺してしまった拓児を達夫が叩くシーン。最後の方は力なく、手のひらで拓児の肩をさするようにしていたのが印象的だった。拓児を叱ってくれ、思ってくれる存在がいるというのが、救いだと感じた。

・拓児が交番へ出頭するシーンで、交番前の横断歩道を渡った時、車に轢かれやしないかとハラハラした。横断歩道前で拓児が立ち止まった時の間の緊張感と、その後の拓児のあっさりとした「わりいな」と言うセリフの落差で、何となく「これ轢かれるんじゃないか」と予感してしまった。

・最後、千夏が父親の性欲処理をしているのだと思ったら絞め殺そうとしていたと観客が分かった後で、達夫が千夏の家に行って観客と同じように「また千夏は父親の性欲処理をしているのか……」と思ったのだろうシーンはよくできていると感じた。観客は達夫に対して「いや今回は違うんだ! 早く行かないと千夏が父親を殺してしまう!」と焦るので、クライマックスの感情の盛り上がりを自動的に作っている。この映画はあまりそういう大きな起伏を狙って作るようなことはしていないのだと思うが、いち観客としてはこの演出は最後のハラハラを催させる良い演出だと感じた。

☆感想
 「そこのみにて光輝く」とはどういう意味なのだろうか? 中島を刺してしまいまた刑務所に戻ることが確実になった拓児にとって、達夫と出会い、山へ行って家族のために稼ぐという未来がすぐ近くにあった時期だけが、光り輝くようだったという意味なのか? それとも、家族が絶望的な状況である千夏にとって、達夫の存在だけが光のように輝いて見えるという意味なのか。また、部下を死なせてしまった過去に囚われ、さらに拓児も失った達夫にとっては、千夏だけが光り輝く存在だったかもしれない。
 この映画においては、ギリギリ最悪ではないが、決して最高でもない結末が示されていた。拓児は中島を殺しはしなかったし、仮釈放中に罪を犯した場合では刑期は加算されないので、拓児は残りの刑期を刑務所で全うすれば再び社会に出てくることができる。また、千夏の父親はそれまでずっと「はるこ」の名前しか呼んでいなかったにもかかわらず、最後は「ちなつ」と呼んでにっこりする。千夏は父親の存在に心底疲れ果てながらも、それでもかつて父親と一緒に魚を売りに行き、帰りにアイスを半分こした思い出を慈しんでいたことからも分かるように、父親のことを憎み切れてはいない。だからこそ、千夏は床に寝たきりの父親が、かつて自分の慕った父親と同じ存在であることを名前で呼ばれた時に感じ、涙したのだと思う。この涙は決して感動とかそういったプラスの感情からのみくるものではないと思うが、しかしだからといって100%絶望的な感情というわけではない筈だ。
 絶望的な暗い海の底を漂っていて、全て諦めてしまった方が楽なのかもしれないが、そういう時でも希望は水面の上から差し込んでいる。むしろ希望とは、絶望の「底のみにて光り輝く」ものなのかもしれない。それがたとえどれほど微かな光だとしても、我々はそれに縋って再び浮かび上がろうとする。力尽きて永遠に底へと沈んでしまうまでは、光に手を伸ばしてもがく。それが人生なのかもしれない。


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