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大学で音楽サークルに入った話③

私は授業の空き時間にはたびたび部室に行くことにした。いくたびに他の部員に出会えることが楽しかった。楽しみにしている漫画に新キャラが毎回出てくるようなそんな気分だった。


濃い部員たち

まず部長の彼女の通称discoさん。バーバリー柄の膝丈プリーツスカートにバーバリー柄のニーハイソックスを履き、下半身すべてをバーバリーチェックにした先鋭的おしゃれ女子だった。なんでも、安室奈美恵の結婚記者会見を参考にしたのだとか。(勧誘チラシも彼女作)
また、2年のR君。毎年行われる花見(通称枝見の会)にて行われる『いけてない服選手権』で昨年圧倒的な優勝をしている強者であった。その時の装いは色あせたEDWINのベースボールキャップに、ボンデージデザインのジャージというものであったそうだ。
そして4年生の先輩方もまたキャラが濃く、とくにMさんはいつも真っ赤なシャツを身に着けており、話が長く、さらに顔がなんとなくYOSHIKIに似ていたところがまた何とも言えない雰囲気を醸し出していた。出会う人すべてが面白おかしく、楽しかった。

担当楽器を決める


そしてついに新入生の楽器決め・バンドメンバー決めの日が来た。
実は私はピアノを12年習っており、楽譜を読むことと耳で音をとることはできた。なのでどの楽器を担当することになってもそれなりにできるようになるような気がしていた。
あえてやるのであれば、ギターボーカルしか勝たんだろと、なめた考え方をしていた。

女性でギターボーカルに立候補する人は一人もいなかった。
というわけであっさり私はギターボーカルに就任し、さらに三人バンドが好きだったのでガールズスリーピースバンドを結成することになった。

目指したスタイル

ガールズスリーピース、初心者だけ、大学サークルのノリ、三拍子そろうと何が起こるかというと、「勢いでなんでもやれる」ということである。
下手に音楽通みたいな玄人気取りなやつをメンバーに入れると、やれ演奏がどうだ、この音楽ならこうすべきだ、などとうるさいに違いない。
しかし女子・初心者しかいないバンドであれば技術のつたなさをみんな生ぬるい目で見てくれるので勢いでごまかすことができる。
さらに中途半端なコピーバンドとかやってしまうと、演奏の粗が見えてしまうこと確定なので、あえて、オリジナル曲をいきなり作ることにした。
下手さをごまかすのである。あと、いきなりオリジナルを披露するというインパクトで観客を翻弄する目論見もあった。
さらにさらに、ヘタウマな感じでライオットガールムーブメント的なやつにのっかってしまおうとも考えていた。

ライオット・ガール:riot grrrl)は、1990年代初頭にアメリカ合衆国ワシントン州オリンピア[1]ワシントンD.C.[2]で始まった、フェミニストによるアンダーグラウンドパンクミュージックの流行、および音楽とフェミニ
ズム
政治を組み合わせたサブカルチャー運動である[3]

ライオット・ガール - Wikipedia


音楽性のイメージはビキニキルみたいな感じ。なお我々に思想はなかったです。

私の粗削りなプロデュースは功を奏し、このバンドはうまくいった。というかどんな適当な演奏をしていても所詮サークル活動、別に誰も文句を言うわけではないし、自由きままに楽しくやらせてもらった。


活動の内容

4年間のバンド経験の中で、学内を飛び出し学外のライブハウスや企画ライブへの参加、デモテープを作成しラジオ出演まで果たした。
学生ローンで購入したWindows98でホームページを作成し、音源をネットに掲載するなどもした。(頑張ってリアルオーディオファイルを作った)
きっと今の時代だったらYoutubeに音源載せたりSNSで楽曲発表してただろうなと思う。今のほうがいろいろできて、その点は実にうらやましい。
とはいえ当時も浸透したばかりのインターネットで様々な活動をした。みんなYahooジオシティーズとかでHPを作成し、ホームページには必ずといっていいほど掲示板が設置され、その中でいろんな人と交流した。
地方のバンドマンなどとやりとりして、お互いデモテープを郵便で送りあったりもした。
愛媛のバンドと交流したときに、土地によって音楽のムーブメントがずいぶん違うことに気が付いて新たな発見があったりした。

民俗音楽研究部に入ることで、思ってもみなかったバンド活動をし、それによってさまざまな経験をすることができた。

2年か3年の時、まもなく卒業を控えた先輩にこれからどうするのか聞かれたことがある。先輩はガチで音楽をやっていこうとしている方だったので、おそらく私にも同じように音楽への熱い思いがあると思って質問したのだろう。

私はこう答えた
「バンドをがんばって、民音で一番かっこいいバンドになって、就職活動をがんばって、そのあとは結婚して幸せに暮らします」
先輩は「おいいいいいい!」と言っていた。

音楽で一生食べていこうとは思っていなかった。そもそもそんな技術も情熱もない。なのでこの時宣言したとおり、私は就職活動をがんばったし、現在幸せに暮らしている。
あの時の先輩には期待外れな回答で悪いことをした。

でもやっぱり、大学生活とバンド活動はとても楽しかったし
今を生きる自分にとって、とても価値のあるものだったと思ってます。

おわり


あとがき

部室にマリスミゼルのポスターを貼ったのは、その後私の夫になる人でした。

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