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人間関係に悩んでいたあの頃

僕には親友と呼べる友人が何人かいる。

彼らは地元の仲間で、中学時代からの付き合いだ。進路が変わった今でももほぼ毎週のように会ってはくだらない話に花を咲かせている。

彼らは僕のことを「いじる」

地元の仲間のなかで僕だけ扱いが極端に雑になることがよくある。旅行に行った時は僕がトイレから戻ると部屋の鍵を閉められていたり(ガキか)、「なんか面白い話してよ」なんて無茶振りをされたり(うん、ガキだ。)、レンタカーを借りて僕が車に乗ろうとドアを開けるや否や車を動かしたりする(これは割と危なかったのでさすがに少しキレた)(でも直後にちゃんと謝ってくれた)

そう、僕は典型的な「いじられキャラ」なのだ。

初めはそんな扱いを受けるのが嫌で嫌で仕方がなかった。いじられるたびに僕は機嫌を悪くして、それをおもしろがって彼らのいじりにさらに拍車がかかってますます機嫌が悪くなった。嫌気がさして途中で帰ったことも何度もあった。グループラインを抜けたこともあった。

彼らに「人の気持ちを考えられないやつら」というレッテルを貼って距離を置くことは簡単だったが、それはできなかった。友達が減ることが怖かったから。いじられるのは嫌だったけど、地元に居場所がなくなるのも同じくらい嫌だった。

彼らが冗談で言っていることは明らかだった。でも僕にはそれが信じられなかった。わかっていても、心の底では僕を見下していて、おとなしいやつだから仕方なく遊んでやっているみたいなスタンスで僕と関わっているのだと思っていた。僕はなんて卑屈な人間なんだろうか。

でも、ある日突然考え方が変わった。

彼らのいじりは、僕の考え方ひとつで僕らの絆を深めてくれるものになり得る。

彼らは本当に冗談のつもりでいじっているだけなのだ。だから僕はただ純粋にその冗談を冗談として受け止めればよくて、卑屈になる必要なんて全くない。そこさえ割り切れればなんの苦もない。

僕は、彼らの「愛のあるいじり」に気づくことができなかっただけだ。そう考えると、今まであれだけ嫌だった僕への雑な扱いも突然、その場を盛り上げるきっかけになる。その場に笑いをもたらすことができるようになる。

冗談で言ったことに対してこっちも冗談で返す。それがおもしろければそこで笑いが生まれる。何も難しいことではない。ごくごく単純な若者同士のやりとりじゃないか。

確かに自分に嫌なことをする人とは即刻縁を切ることも時には必要だし、それも一つの正解だと思う。でも僕にはそれが怖くてできなかったし、しなくて良かったと思う。

彼らの、常に前向きにその場を楽しませようとする心意気を今はとても尊敬している。



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