見出し画像

嫌いなものについて

朝の電話が嫌いだ。

小学校3年生の時、家族で朝ごはんを食べていると、突然家の電話が鳴った。

母方の曽祖母が死んだという報せだった。不運にも、母がその電話に出た。母はみるみるうちに大粒の涙を流し始めた。僕には何が起こっているのかよくわからなかった。

「元気だって言ってたじゃん」

そう言った母の顔がいまだに忘れられない。

電話を切ってからも、母はその場にうずくまり、子供のように泣き叫んだ。僕はその時初めて親が泣く姿を見た。そしてそれは当時の僕にとってかなり衝撃だった。子供の事を叱り、あれしなさいこれしなさいとやかましい「母親」が、こんなにも脆い存在であり、僕たち家族の目も憚らず泣き喚く人間であることに驚き、怖くなった。

親は、子供とっては絶対的な存在だ。いて当たり前で、子供の前で泣いたりしない。気丈に振る舞うことのできるすごい人。そんな風に思っていた。でも違った。悲しかったら泣く。それが例え子供の前だろうと。

その時以来、朝の電話が嫌いになった。ある種のトラウマであると言ってもも良いだろう。

朝家の電話が鳴ると、あの時のことを思い出す。また悲しい報せがやってくるのではないだろうか、また誰かが涙を流すことになるのではないだろうか。

そう思うと心臓の鼓動が速くなる。

いつしか朝の電話は、僕にとって1日のスタートを重く、冷たい氷塊のようなものにする存在になってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?