![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/6160213/rectangle_large_8ccb487fb375c7e2807563da458f1933.jpg?width=1200)
嫌いなものについて
朝の電話が嫌いだ。
小学校3年生の時、家族で朝ごはんを食べていると、突然家の電話が鳴った。
母方の曽祖母が死んだという報せだった。不運にも、母がその電話に出た。母はみるみるうちに大粒の涙を流し始めた。僕には何が起こっているのかよくわからなかった。
「元気だって言ってたじゃん」
そう言った母の顔がいまだに忘れられない。
電話を切ってからも、母はその場にうずくまり、子供のように泣き叫んだ。僕はその時初めて親が泣く姿を見た。そしてそれは当時の僕にとってかなり衝撃だった。子供の事を叱り、あれしなさいこれしなさいとやかましい「母親」が、こんなにも脆い存在であり、僕たち家族の目も憚らず泣き喚く人間であることに驚き、怖くなった。
親は、子供とっては絶対的な存在だ。いて当たり前で、子供の前で泣いたりしない。気丈に振る舞うことのできるすごい人。そんな風に思っていた。でも違った。悲しかったら泣く。それが例え子供の前だろうと。
その時以来、朝の電話が嫌いになった。ある種のトラウマであると言ってもも良いだろう。
朝家の電話が鳴ると、あの時のことを思い出す。また悲しい報せがやってくるのではないだろうか、また誰かが涙を流すことになるのではないだろうか。
そう思うと心臓の鼓動が速くなる。
いつしか朝の電話は、僕にとって1日のスタートを重く、冷たい氷塊のようなものにする存在になってしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?