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My film life!

私がフィルムにハマるようになったきっかけ、そして自分が持っているこだわりについて話したい。

最初、カメラというものを認識したのはわずか6歳。父親から「写ルンです」を買ってもらったのがきっかけだった。
初めこそ何も分からずに触ったり、突然発光するフラッシュに驚いていた。
でも次第に、撮る行為そのものの楽しさを覚えていった。

写ルンですがポケットに居る感覚は、友だちと一緒に居るようで安心した。
色んなところへ出かけ、色んなものを撮った。
風景、乗り物、家族、友達…中でも一番撮っていたのは、鉄道。
踏切の音が聞こえては、写ルンですを回していた。もちろん、焦点距離やISO感度などつゆ知らず、ただ撮る行為を楽しんでいた。

フィルムカメラに目覚めたのは、時が経って大学生の頃。
写真部に入り、先輩からフィルムカメラの良さを教えてもらったのだった。
予算は足りないがどうしても撮りたくなり、祖母からカメラを借りていたのは良い思い出。
確か、Canon AE-1だった。

部室には暗室があり、現像から作品作りまで何でもできた。

初めて撮り、暗室で現像まで手掛けた写真は、この蝶のネガだった。
オオゴマダラといい、羽が元々白黒の個体。
これを敢えてモノクロで撮ったら面白いかも…と考えていた。

また時は経ち20歳。
大学2回生のことだ。
部活で作品を作る時はモノクロフィルムを使っていたのだが、カラーフィルムの面白さにも気づき始めていた。

業務用100は、なんだか優しい写りになるから好き。
いつも、適正露出より明るく撮る。
白い部分は、飛ぶくらいが丁度良い。

すぐに、自分の好きな色味に気づけた。
彩度が低めで、かつ明るめの青・緑が好きだということに。
この色味観は、今も変わらない。
実は、自分は生まれつき色覚に異常があり、赤色の認識が難しい。
その分、青と緑を細かく見る力が発達したのではないかと思っている。
自分にしっくりくる撮り味を実現させてくれたのが、業務用100とKodak colorplus 200。
もうめっきり、写真屋では見なくなったが…。

Praktica KW。たびたび投稿に出てくる。

21歳。
カラーフィルムに加え、変な方向に興味がゆく。
いわゆる脱線。
蛇腹カメラのジャンクを集めてインテリアにしたり、二眼レフの革を水色に張り替えたり…。

ロシアンカメラ、LOMO SMENA 8M
Yashica Flex C型。
ほどなくして、シャッターが戻ってこなくなり、フィルムカウンターも故障。
青い二眼レフで撮ったブローニーのリバーサルフィルム。
リバーサルは、より色濃く思い出として残る。
Zeiss ikon Super ikonta 531

比較的マイノリティで、周りが持っていないカメラばかりを求めていたなと思う。
おそらくこれは、自分がマイノリティである事を自覚していることが投影された行為なんだろう…。
現在は、変なカメラ枠としては、上のプラクチカが現存している。
M42スクリューマウントは汎用が効くし、シャッターも十分下りる。

22歳。
就職活動をとんでもない速さで終了させ、またイロイロ撮る。
この時の関心は、フレアやゴースト。
オールドレンズだから出せる、滲むような光の描写がとても好きだ。
夢の中に居るみたいで、イヤな現実から少しだけ目を背けることができる。

オールドニッコール、スーパータクマー、インダスターやヘリオスなどで撮ってきた。
フレアに感動するのは、やはりタクマー55/1.8。
絞りリングを2.8から1.8へ開放する時の光の広がり具合が…なんとも言えない感動。
太陽の尊ささえ感じる。

…と、時々変態になりながら、自分なりの拘りを持ってフィルムは撮っている。
フィルムは、デジタルのように確実性は無いし、現像されてくるまで結果は分からない。
自分はそれで良いと思っている。不確実性が高いからこそ、そこに自分の感性や価値観を入れ込める。
したがって、より自分のテーマに合う写真が撮れる。

自分の今のテーマは、日常の中の幸せ。かな。

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