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「意識高い系」を辞めました。

私の大学時代は、夢や目標があって、叶えるために日々を送っていました。

たくさんの起業家や社長、講演家にお会いし、
様々な人の話を聞き、自分の夢や目標のためにたくさんの知識を得て、経験を積んだりしてきました。

その当時の私は、お会いした方達と私の夢や目標など素敵な話をしたいと思い、「お金」については一切触れていませんでした。

私にとって「お金」というのが、人間が共通認識を持つ、「一つのエネルギー」であることを受け入れられなかったんです。

様々な人との繋がりでは、「お金」の話を避けた夢や目標について話ていましたが、
自分が好ましく思っていない「お金」についても学ぶ必要性を感じており、
InstagramのDMで話しかけられ、ビジネスのコミュニティに入ることで、「お金」について学ぶことに。

すると、そのビジネスのコミュニティでは、入学金で、うん十万円と支払っており、わざわざ借金をする必要性があることも相まって、みんな「意識高い系」でした。

そこで、日本の経済の流れを学び、商品を売ることでセールス力を鍛え、自分で起業し、そのコミュニティ内でも外でもフリーランス、個人事業主として、支え合っていき、投資についても学べるというコースの中で、

初段階である、「日本の経済の流れを学び、」を終えた後に、辞めました。
「今の時代にそんなのに騙されるなんてバカすぎでしょ!」とかの周りの意見は脇に置いといて、

別に、そのコミュニティを辞めた=意識高い系を辞めたというわけではないんです。

自分の夢や目標に向かって、入ったコミュニティのはずなのに、全然やる気が出ない経験をしたんです。
おかしいですよね?

夢や目標なら、ワクワクと興奮だけなはず。なぜ、こんなにもやる気が出ないんだろう、コミュニティ内の人のせい?なんて、やる気が出ない原因を探っていきました。

そこで、たどり着いたのが、まず私が抱いていた夢や目標自体の重要性です。
夢や目標は、少しでも誰かのためにはなるし、社会は良くなるし、私だって成長し、気持ちよくなる。それを叶えた時、誰かに認められたらなおいっそう嬉しくなる。

だけど、それがあっての私かどうかと考えると、一つの夢や目標が私の全てってわけではないし、そこに固執している重要性みたいなのはないんですよね。

意識高い系になると、その一つ一つの瞬間に私が感じたことを脇に置いて突き進むイメージがあるんですけど、やっぱり、意識高い系っていうのは周りからの承認欲求で動くことでしかないのかもなという考えに至りました。

そんなこんなで、コミュニティを辞め、その時に抱いていた夢や目標への執着も薄れ、
すっごく暇になった時
暇だし好きなこと突き詰めたりそれに対して夢や目標あったら面白いかもね。となってきました。

好きなことをしていく中で、夢中になっていることに対して、「意識が高いね。」と言われることもあるけれど、ハマっていってこだわりを持ってきているだけで、勝手に評価がついてきている感じがしています。

ふと、好きなことに対する捉え方が変わった時、誰かの「意識高いね。」の言葉が私の承認欲求を満たして、それにこだわり続けたり、他のことにハマってみたりしてるんだなぁと、私の最近の行動を振り返ると、そんな感じでいます。

意識高い系であることをやめて、意識高い系だねと言われる人になりました。
なぜでしょう?

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