部屋の隅(実話怪談)

私は四人家族だった。
父、母、私、弟。それに足して猫二匹。
ごく平均的な核家族である。教科書に載る手本のような。
だが、私にはごくまれに家の中に知らない家族を見ていたようである。

小さい頃住んでいた家は二階建ての一軒家。
ひとつ前の『風呂』の話でも語った、バリアフリー済みの家だ。
その家の、階段に近い角部屋はドアストッパーがつけられいつも少し開けられていた。
閉められているのを見たことはなかったと思う。
階段を使うたびにその部屋を隙間から覗くことになるのだが、幼稚園にあがったばかりの私は部屋を通り過ぎる時いつもドアの隙間に向かって手を振っていたらしい。
あまりにも毎回手を振るので不思議に思った母親が理由を聞くと、ドアと対角線上の部屋の隅に「黒っぽい人がいる」と言ったのだという。
子どもの言うことなので深くは追及されなかった。
多少不気味には思ったようだが、イマジナリーフレンドなりなんなり幼い子どもが大人には見えないものを主張する例は世界的にも多くみられる。
そう過敏になるようなものでもないのだ。
しかし、母は壁の隅に掛け軸を掛けた。
特にいわれのあるものでないが、お釈迦様の描かれたもので何かの助けになればと思ったのだろう。

その部屋は数年後小学校も中学年になった私に与えられることになった。
私も小さい頃の些細な出来事など忘れていたので特になんとも思わず日々を過ごしていた。
ごく幼い間しか私は「黒っぽい人」の存在は主張しなかったし、次に生まれた弟もそういうことを言い出すことが無かったから、家族の誰もがそんなことは忘れていたんじゃないかと思う。
初めて一人部屋を与えられた私はさっそく自分好みに部屋の内装を整えた。
元は家族全員の寝室であったので、子どもっぽいプリントのカーテンだったのを淡いピンクのものに。絨毯はパステルイエロー。カステラのようで気に入っていた。
部屋は少女らしいパステルカラーで統一され、満足した私は最後の仕上げに部屋の雰囲気から浮き上がったお釈迦様の掛け軸を取り外し、大手キャラクターグッズメーカーのカレンダーに掛け替えた。
そんな折り、初めての自分の部屋に浮かれた私は仲の良い友達を数人を部屋に招待することになった。
自慢の部屋のお披露目だ。
得意げに部屋のドアを開ける。
すると、部屋に入った瞬間一人の友達がムッとした顔をした。
せっかく遊びに呼んだのにそのムッとした表情の子はずっと機嫌が悪く、早めに帰ったので私も大層気分を悪くしたが、大きな喧嘩にはならなかった。
私は数年してその家から今のウサギ小屋の如きアパートに越した。
話はそれるが、本当に狭いのだ。特に風呂が狭い。
それについてはひとつ前の『風呂』という小話に詳しいのでお読みいただきたい。
風呂好きの諸君は耐えられるだろうか、脚を伸ばすどころか肩まで浸かれぬ正方形の浴槽に。
まぁ、それはおいておくとして。
私はある日、母親から私が小さい頃部屋の隅に手を振っていた話を聞いた。
母は野菜を刻んでいて、私は食事前にも関わらずポテトチップスを食べていた。本当になんでもない瞬間である。
それにつられ、友達を家に呼んだ時のことも思い出した。
どうにもそのことが気になって、あの時どうして機嫌が悪かったのかその子に電話で尋ねると、私の小さい頃の話を知らないはずの友達はこう返してきた。

「あんたの部屋の隅になんかいたから」

あの家が悪かったのか私に何かが憑いているのかはわからない。
しかし薄気味が悪く感じたのは確かだ。
私はアパートの部屋の隅に、前の家では部屋に合わないとはずした御釈迦様の小さな掛軸を再び掛けた。
余談ではあるが、小さい頃の私や友達の一人が何かがいるような気がした部屋は仏間のちょうど上で柱のある部屋。
気のせいか夢かだと思うことにしていたが、私はその部屋で何かの声と足の裏に何かが触れる感覚を度々感じていたのだった。

(おわり)

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