コックサッカーブルースにみたコミュニティと組織の比較論

以前に呼んだこちらの本で、旧来の組織と新しいコミュニティの違いを明確に意識し始めた。

それ以来、組織とコミュニティの違いを考えてしまう癖がついてしまった。組織とコミュニティには、共通する部分が多いものの、やはり根本として異なる特徴がある。

コミュニティと組織を比較してみる

まず、コミュニティは、共通の興味関心や目的を持った人々が、自発的に集まって形成されるもので、組織は、特定の目的を達成するために、計画的に作られた集団と言える。

コミュニティは、主に社会的な関係(ワクワクとか興味趣味が動機)に基づいて構成され、組織は、主に役割や職務に基づいて構成される。

さらに、コミュニティは、個人の意見や価値観が尊重される傾向があり、組織は、階層的な構造を持ち、指示や指導に従うことが求められることがある。

どちらも必要な要素を持っており、密接に関連して組織がコミュニティを支援したり、コミュニティが組織に協力したりすることもある。

ヒロミはコミュニティに生きており、ヤクザにはどう足掻いても見つからない

先に紹介したコックサッカーブルースに登場するヒロミというカリスマ女子は、一種のカルト的コミュニティを作り上げていた。そのコミュニティが反社会的勢力たちから睨まれてしまい、ヤクザたちに追われるはめに。。。

旧来型組織のいわゆるヤクザたちは、カリスマ女子ヒロミを捕まえるために役割を決め、指示系統を明確にし、組織的にヒロミを探し当てようとする。

一方でヒロミはヤクザたちの系統だった執念とも呼べるほどの大捜索の目を潜り抜け、社会の中で暮らしていた。

ヤクザたちは、ヒロミという女子の身辺を調査し、似通った人物や組織図などを想定し、ヒロミに近しい人物を洗い出していく。しかし、ヒロミはコミュニティに生きており、組織が持っている関連性を飛び越えた「人と人とのつながり」のなかで生きているために、ヤクザにはどう足掻いても見つからない...というストーリーだった。

僕の目指すカタチ

コミュニティと組織。どちらにも必要な役割があるだろうし、旧来の組織を否定するつもりはない。けれど、今までうまくいかなかった組織をそのまま同じように名前を変えて、他の組織として立ち上げる行為については、警鐘を鳴らしたい。

組織を作ろうとする考え方そのものから、まずは再定義する必要があるんではないだろうか。コミュニティとして、興味や関心の輪を広げることから始めてみてはどうだろうか。

僕の目指すカタチは組織ばったものではなく、ゆるやかに興味関心でつながり合いながらコミュニティを形成していくもの。

組織にはできなかったことが、できる気がする。

オレは堀坂進太郎、小さな出版社のオーナーだ。或る日、オレのマンションに、別居中の妻の服を着た見知らぬ女が上がりこんでいた。それが奇妙なことの発端だった。SMモデルの女の剥ぎとられた爪が送られてきたり、変態性欲者の群れに、オレはどんどん巻きこまれる。…強烈な欲望と幻滅の渦巻くハードなパーテイで出会う性的フリークスを通して、時代の核心を描く長編小説。

村上龍:コックサッカーブルース


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