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『シンプルな世界』十一

十一
 二人がやってきた先はバイト先のカフェのすぐ近くにあった二十四時間営業のファストフード店だった。適当に飲み物を注文した後、向かい合って座る。
「んーと、美里ちゃんの疑問は俺がなんで急にカフェをやめるか、だったよね?」
「はい、そうです」
「それは俺がこれから人間関係を壊すから」
「人間関係を壊すって……どこのですか?」
「あのカフェの」
 ご冗談を、と心底おかしそうに笑っていた斉田だったが和貴が一切笑わないことを受けて笑うのをやめた。
「カフェっていうか……影響あるのは美里ちゃんと恐らく小林先輩だけなんだけどね」
「どういう意味ですか」
「美里ちゃん、俺たち、別れよう」
「へ?」
「だから、俺たち、別れよう」
 和貴の無慈悲な繰り返しに斉田の瞳から光が消えた。彼女の唇が青ざめてわなないている。
「どうして……?私たち、付き合ったばかりですよね?私、何か先輩を怒らせるようなことしましたか?言ってくれたら治しますから!」
「いや、美里ちゃんは何も悪くないよ。俺が悪いんだ。俺が中途半端だったからこんなことになったんだ」
「中途半端ってなんですか!」
 斉田はついに声量を抑えられなくなり、叫ぶようにして机を叩いた。店員や店内の客からの注目を浴びていた。
「ヒューマノイドの恋人がいながら君という人間の恋人を作ってしまったこと。これが中途半端だったということだよ」
「でも、私はそれを承知の上で……!」
「これ以上君みたいな素敵な女性を俺なんかに縛り付けていちゃダメだと思ったんだ。小林先輩みたいに君だけを想ってくれる人じゃないと」
「それってつまり、先輩は私のことなんとも思ってなかったということですか……?」
 和貴が斉田をまっすぐ見つめたまま無言でいると、彼女はわあっと顔を覆って泣き出した。
「どうして?なんで急にそんなこと言い出したんですか?例え先輩が今私のことを好きじゃなかったとしても、これから好きになるって可能性だってあるじゃないですか!なんで!」
「昨日だよ」
「……え?」
 斉田が顔を上げる。大粒の涙はその大きな瞳から溢れ続けたままだ。
「昨日、仁たちとダブルデートしただろう。その時、あいつのヒューマノイドに対する態度を見て俺がヒューマノイドから逃げていたことを自覚したんだ。それで、ヒューマノイドの彼女と向き合うことを最優先にしようって決めた。だから、美里ちゃんは何も悪くない。俺が勝手なだけなんだ。中途半端に生きていたから本来は巻き込まなくてもいい美里ちゃんとかを巻き込んでしまった。本当にごめん。でも、今はヒューマノイドの彼女に向き合いたいと思っている」
 和貴の目に揺らぎが無いことがさらに斉田を追い詰めた。
「認めないわ……そんな勝手認めない」
 斉田は急に立ち上がったかと思うと「別れませんから!」と言って立ち去っていた。別れ話はもっと上手くまとめないと、とでも言いたげな周囲は和貴を嘲るようにちらりちらりと彼を見ていた。彼は途中までしか飲んでいないドリンク二つをどちらとも飲み残しに捨てるとそのまま店を出た。雨上がりの湿った生温い風が彼の頬を撫でた。
「和貴」
 愛が傘を持って現れた。つい先ほどまでは降っていたが止んでしまったのだろう。その傘は若干の水滴を含んではいるが閉じられていた。
「また、私、必要なかったね」
 いつかの光景と重なり、和貴はまた胸が苦しくなった。しかし、今度のものは以前のものとは違う胸の痛み。彼女を傷つけた自覚をしたということ。
「全然。……必要だった」
 その言葉に愛はにっこりと微笑んだ。彼女はいつだって微笑むだけだ。それがプログラムなのか、彼女に感情が芽生えているのかわからない。だが、彼女の微笑みが何よりも人間らしいという事実だけで和貴には十分だった。
「家に、帰ろう」
「うん」
 二人は視線だけで会話をし、手を繋いだ。その二人の影は街灯に照らされて楽しげに坂道を下っていった。

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