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長崎旅行

こんばんは、こねこです。

皆さん、お元気ですか。

長崎に一人旅をして、都度思ったことを書き留めていたのでそれを公開します。

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人生、思い通りになったことがない。

私には常にガイドがいるみたいにこっちがいいですよ、と押し流されていく。

結局それが正解で滑るように流れていく。

私の意見は建前で本心は案内人が握っている。

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赤いリボンをかけたワインのボトル(絶対ボルドー)を握りしめ、誰かに電話したい。

ワンコールで取ってくれた人のもとにそのままワインを届けて、一緒に飲んで、さようならって夜明け前に家に帰りたい。

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空の港って素敵な響き。

今にも波が押し寄せて、管制塔にぶつかって、白い飛沫をあげるのかしらなんて想像する。

実際そんなことになったら大変なのだけれど。

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長崎。どんなところかな。

九州。福岡しか行ったことないから。

良いところだといい。

良いところ、よくわからないけれど。

良いって何だろう。

私は何を良いって言ってるのだろう。

よく、わからない。

行ったことのない場所と同じでわからない。

「良いところだった」

って言っても、何を良いと表現しているのかわかっていない。

言葉にできない、体感した「良い」は確かにあるはずなのに。

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『夜間飛行』を読んで以来、飛行機が離陸する度に感動で目が潤む。

嗚呼、文明だ。

人類の歴史に私もその身を連ねている。

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一人旅をするけれど、目的が自分探しと思われるのは心外だ(きっと、私に対してそんなことを思う人はあまりいないと思うけれど)。

自分探しのために一人旅をする人がいるのなら、青臭くて青臭くて、ジャムにしたって食べられやしない。

なぜ実に例えたのかはわからない。

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私が初めて一人で飛行機に乗ったのは幼稚園だった。多分、4歳とか。

CAさんにとても可愛がられ、常に飴をもらった記憶がある。

カウンターでも席に座っていても、空港であればどこでだって「一人で偉いね」と褒められた。

私はニコニコして、自分が偉いのだと思った。

でも、振り返ってみると家族が近くにいなかっただけで、周りの見知らぬ大人に導かれていた。

偉いのは私じゃない。

私を導いてくれた人々だ、

後年になり、気がついた。

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私を知らない人の私への親切が好きだ。

それは打算的だったとしても、純粋だから。

私を知っている人の私への親切も好きだ。

でも、それは優しさだったとしても、差別だ。

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私が標準語を話すから。

私のこと、東京出身だと勘違いする人。

面倒だからそのままでいい。

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偉人と同じ景色を見ても、偉人にはなれない。

綺麗という感想しか出てこない私はつくづく凡人。

インスピレーションなんて、どうやって湧いてるんだろう。

昼間見た絵画。

薄紫と青色が基調の長崎港。

私にはただ人間が地球の資源を喰っているようにしか見えません。

そして、その人間の中に私も含まれます。

うんざりします。

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「もう観光もダメですよ」とバスの運転手さんが言った。

私はどうしたらいいかわからなくて「本当ですか」と関西的発想の標準語。

私が降りる停留所に着いた。

「はい、さようなら」とバスの運転手さんが言った。

「さようなら」と言った。

「おやすみなさい」とも言った。

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チョッカンが冴え渡っている。

旅行前から誰かに声を掛けられる予感がした。

案の定、話し掛けられた。

黒猫と目が合った瞬間、この猫は私のことを気に入ったとわかった。擦り寄ってきたので逃げた。

九州の言葉が聞こえてきた。でも、長崎だとは思わなかった。福岡市内だと思った。北九州の言葉じゃないから。実際に福岡市内の高校だった。

崖に波が打ちつける様子を見ていた。晴れていた。キラキラと透明な青色に輝いていた。でも、上陸はできないだろうと思った。波がやけに空に向けて弾けていたから。本当に上陸できなかった。

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いつ頃からか「今どこにいるの?」と聞かれることが多くなった。

いや、正確には高校2年生から。

いつも答えに困った。

でも、もう迷わない。「地球上にいます。緯度と経度が変わるだけです。心配しないでください」


以上です。

次回はこのまとめの文章を掲載します。

ご興味があれば是非覗きに来てください。


…と書いたのですが、気分がかわったのでその手記はまた今度にします。

気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。