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『シンプルな世界』二十(最終話)

二十 
 ついにソウに実際に初めて会う日がやって来た。いつものように和貴と愛は一緒に朝市で食材を買い込むと、すぐに自宅に戻って昼食を食べてから出掛ける準備をした。
「愛、行くぞ」
「今、行く!」
 愛がご機嫌そうにヒールを履いて、玄関で待っていた和貴の腕に捕まる。彼はそんな彼女を微笑ましく思いながら、家の鍵をかけた。

 目的地は繁華街を少しずれた路地裏の小さなビルにあるようだった。例の会は特に拠点となる場所は所有していないが、必要な時はシェアオフィスを活用してメンバーと会合を開いたり、作戦を話し合ったりしているらしい。早速目的地へ向かうと、そこにはソウが待ち構えていた。彼が先頭に立って、今日借りているというシェアオフィスの一角に足を踏み入れた。コンクリートの壁が剥き出しのままで、冷房も効いていない。部屋の中央に寂しく木製の机と椅子が置いてあるのみで、他には特に見当たらない。
「ここ、ですか?」
 和貴や愛の背後で扉を支えているソウに尋ねようと和貴が振り返ったその瞬間、ガコンッという凄まじい轟音と共に愛が真横に吹っ飛んでいった。彼女の肢体はゴロゴロと転がりながら扉の正反対の位置にある壁にぶつかった後、うつ伏せのまま動かなくなった。状況をうまく飲み込めない和貴は茫然と倒れた愛を見つめていたが、カツンという足音に気がついて扉の方を改めて見た。そこには、金属バットを持ったソウと両手を後ろに隠した斉田が満面の笑みで立っていた。
「ねえ、びっくりしました?」
「斉田さん……」
「私が、許すと思いました?」
 ヒヒヒ、と喉の奥で声を引きつらせたかと思うと、じりじりと和貴との間合いを詰める。
「僕ってウソつきなんです。だからソウなんです」
 ソウは愛を殴った衝撃で凹んだ金属バッドを指でなぞりながら恍惚とした表情で平然と言う。「僕がお仕えしている方はとても慈悲深いのです。一人一人の症状に応じた対処法を考えて指示してくださる女神なんですよ?だから、東雲さんもどうか安心して?斉田さんが今、女神の指示通りに救ってくれるのだから」
「女神?なんのことだ?」
 和貴が眉を潜めると、ソウが高らかに笑いながら言う。「曽良美緒様ですよ。ほう、知らない?無理もないね。あのお方はなかなかどうして、お目にかかれるような人ではないから。ああ、そうか。こう言った方がわかりやすかったかな?美緒様は君のご友人の、佐々木仁の婚約者ですよ」
 その時、和貴は何もかもの合点がいった。急に仁が凪と別れさせられたこと、仁に充てがわれた人間の婚約者、そして追い詰められているこの状況。全てはこのソウが仕えているという曽良美緒の仕業だったのだ。彼女が、なぜそこまでヒューマノイドを目の敵にしているのかは和貴にはわからなかった。しかし、仁に関連して和貴が目をつけられたことは明白で、和貴と愛を消すために選ばれた役者がこのソウと和貴に恨みを持つ斉田だったのだ。
 和貴はソウから視線を外し、クスクスと肩を震わせて俯きながら笑い続ける斉田を見た。「斉田さん……」と彼が声をかけた次の瞬間、顔を上げて満面の笑みで彼女が和貴に迫って来た。思い切り高く振りかざした彼女の両手には刃が握られている。
「うわあああああああ」
 どちらのものとも思えぬ声が重なり合った時、冬の匂いを運ぶ陽光が刃となって和貴の瞼を刺した。

<終>


『シンプルな世界』、これにて完結です。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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