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『シンプルな世界』六


 バイトの時間以外でも、斉田と和貴が会う回数は増えていった。大学も学部も同じとなれば、専門科目は必然的に被る確率が高くなる。特に示し合わせるまでもなく、自然と講義を一緒に聞くようになっていた。
「先輩、さっきの授業をやっていた教授のゼミの噂って何かご存知ですか?」
 講義が終わり、ちょうど昼時となった。この日はいつも彼女とそのままの流れで昼食を食べるのが和貴の日常と化していた。ここに仁が加わることもあれば彼女の友人が加わることもあるが、基本的にこの二人は一緒だった。最初に斉田と昼食を食べる和貴の姿を見た仁は泡を拭いて倒れそうだった。曰く、学部のアイドルである斉田さんとお前はなんで昼飯まで食べる仲にまでなっているのだ、ということらしい。バイト先で知り合って、先輩後輩として付き合っていると回答すると妙な糸目になりながら「さいですか」と信じてない様子だった。
「うーん、俺もそこまで友人が多いわけではないから、断言はできないけれど、少なくとも悪い噂は聞かないなあ」
「そうなんですね。いえ、実は私も先輩と同じゼミに所属しようかと思っていたのですが、どうやら先輩の代で定年退職されるようで」
「ああ、結構歳だものな」
「それで、私たちの代からはあの先生のゼミが消滅するんです。なので、別のいい先生を探しているところだったんですよ」
「なるほどね。そこら辺は仁がよく知っていると思うから、また聞いておくよ」
「ありがとうございます!……ところで、先輩少し相談があるのですが、今日、この後空いていますか?」
 和貴は斉田を改めて見た。いつもと同じ様子だった。あまりにもいつもと同じすぎる様子だった。しかし、彼はそれに気づかない振りをした。
「空いてはいるけど……聞かれるとまずい話なの?」
「ええ、かなりプライベートな話なので……」
「わかった。そうしたら、どこかカフェでお茶しながらでも話聞くよ。昼飯の後、互いに一コマ別授業入っていたよな?終わり次第、正門集合でいいかな?」
「……はい!!」
 斉田の笑顔はいつだって人を和ませる。いつだったか、小林が言っていた言葉だった。和貴は無性にその言葉に同意したくなった。

 講義後、正門前に集合した二人は斉田が探し出したカフェに向かった。最近人気のカフェらしく、女性客やカップルが多い。
「次でお待ちの二名様。ご案内いたします」
 十五分ほど並んだ後、案内された席は壁際の奥まった席だった。内緒話をするにはちょうどいい。ケーキセットを頼んだ二人は、注文を待っている間は他愛もない話をして笑い合った。
「お待たせいたしました」
 店員が注文の品を持ってくると、斉田は紅茶に口をつけて一息ついてから話し始めた。
「私、すごく今悩んでることがあるんです」
「悩み?」
「はい……」
 視線が彷徨っており、まだうまく言葉が紡げない様子だった。和貴は辛抱強く待った。
「私、好きな人がいるんですけど、その方には凄い美人の恋人がいるみたいで……もう同棲までしているって話で、私に勝ち目なんてほぼないんですけど……。まだ、諦められないんです。先輩が私の立場なら、どうしますか?思い切って、その人に告白しますか?それとも、今の関係を壊さないように告白しないですか……?」
 最後は尻窄みになって、自分の発言に羞恥心を覚えたのか頬が真っ赤に染まった。和貴はそんな彼女の様子を見て、本当は心の中で答えが出ているのに彼女は気づかない振りをしているということを悟った。また、彼女の好きな人とやらが自分を指しているであろうこともここ最近の彼女の様子から察しがついた。
(同棲している美人な彼女というのは小林先輩が嫉妬心からわざとヒューマノイドの部分を伏せて教えたのだろう。)
 そこまでわかったところで、これが飛んだ茶番劇に思え、勝手に苛つき始めた。和貴の不機嫌さに気づいた斉田が先ほどは赤く染めていた顔を青ざめさせて「どうしたんですか?」と尋ねた。そのことでハッとした彼は「ごめん、難しい質問でつい考えすぎちゃった……」と笑って誤魔化した。彼女はその言葉をひとまず信じたようだった。
「美里ちゃん、俺と付き合おうか」
 予想していた答えの斜め上の答えが返ってきたのか、斉田は目を白黒させたが、すぐに頬を薔薇色に染めながら「はい、お願いします……」ともじもじと答えた。
「いつからですか」
「ん?何が?」
「だから、いつから私が先輩のこと好きって……。今の話も、全部わかっていたってことなんでしょう?というか、美人な恋人って?」
 和貴は、彼女自ら連絡先を聞いてきたこと、気づいたら講義中は必ず自分の側に彼女がいたこと、今相談を持ちかけられたことから察しがついたと説明した。また恋人に関してはヒューマノイドだという情報を追加しておいた。
「ヒューマノイドなのはわかりました。でも、嫌です。私と付き合う以上は返却してください」
 斉田は怒ったように唇を尖らせながら机の上に置いていた和貴の手を握った。彼はその手を視線で追ったが「俺もそうしたいところだけどあと、四ヶ月は無理そうなんだよ」
「どうして?」
「そういう契約だから。半年以内で返却した場合、三十万の違約金が発生するんだ。あんまりちゃんと読まずに頼んだからこうなっちゃったんだけどね」
「そんな……」
 斉田が絶望したような顔になる。和貴は彼女に握られていないもう片方の手で彼女の手をさらに上から握ろうとして手を止めた。
「ヒューマノイドなんだし、恋人って言ってもプログラムでしか動いてないから大丈夫。お手伝いさんがいるって思って?四ヶ月後には返却するんだし、我慢してくれるかな?」
 渋々といった感じではあったが、斉田の了承を取り付けると、和貴は一つ肩の荷が降りる気がした。
「じゃあ、ケーキ、食べようか」
「はい……」
 和貴が手を離すと、名残惜しそうにしながらも彼女はしずしずとケーキを食べ始めた。和貴は甘いものはあまり好きではないので、ケーキを斉田に分けてやる。
「え、いいんですか?」
「うん、そのために美里ちゃんの好きなケーキ二つ選んでもらったんだし」
 何食わぬ顔で言ってのける彼に、斉田は嬉しそうな顔をしたあと、「では、遠慮なくいただきます」と幸せそうにケーキを平らげた。和貴はというと、先ほど彼女の手に重ねそびれた自分の手をじっと見つめていた。

 帰宅すると、愛が和貴を出迎えた。最近は彼女の存在を鬱陶しく感じ始めていた。そもそも彼女が到着してから、ときめいたのは最初の一声くらいで、それ以後は和貴にとって母親のような存在になりつつあった。家で炊事洗濯をしてくれる食費のかからない母親。ヒューマノイド恋人と言っても名ばかりでデートをはじめとした恋人らしいことは何一つしていない。そうこうするうちに、和貴は彼が思い描いた理想を具現化したような若い女と出会い、実際に彼の恋人になった。理想に出会ったというのにそこまで感動していないのは、和貴の気質が元来感動しにくいからだった。人間の彼女ができた以上、彼女とは現状維持を続け、違約金が発生しないタイミングで返却するしかない。となれば、この状況を説明すべきなのだが、彼には言うべき言葉が見つからなかった。否、見つけようとしなかったのかもしれない。
「ただいま」
 斉田にケーキを分けた時と同じ何食わぬ顔でそう言うと、愛は「おかえり」と微笑んだ。和貴は苛まれる。モヤモヤや悪い予感、そして事実を告げない嘘つき。そういったものたちに。
「ご飯作っておいたよ」
 愛がテーブルの方を指しながら言う。
「ありがとう……」
 黙ってテーブル前に座り、黙々とご飯を食べる。無心で何かをすればこの得体の知れない気持ち悪さから逃げ切れるのではないかと考えていた。
(食べろ。食べるんだ。何も考えるな。愛が目の前にいる。愛が作ったご飯。愛じゃない。あれはヒューマノイドだ。ロボットなんだ。この笑みだって人間の表情をトレースしているだけ。人間じゃない。人間じゃないのになぜ俺は……。)
 ふと、仁の顔が思い浮かんだ。彼は今、ヒューマノイド恋人とどうしているのだろうか。
「ご馳走様」
「今日はいつもより食べるスピードが速いね。お腹空いているの?もっと食べる?」
「いや、いい。風呂に入る」
 和貴は食べ終わった食器を流しに持って行き、そのまま風呂場へ直行した。着衣を脱ぎ、スマートウォッチを取り外そうとしたところで、仁から連絡が来ていたことに気がついた。
『新しい彼女、おめでとう』
『なんでお前がもう知っているんだ』
『美里ちゃんが報告してくれた。彼女の相談乗っていたの俺だし、今日誘うように言ったのも俺だし、お前は俺の掌の上だったってわけ』
『なんだ、そういうことか。とりあえず、ありがとう』
『いいってことよ。で、明日暇?』
 和貴はスケジュールをチェックする。久々にバイトが休みだ。
『空いている。どうした?』
『ダブルデートしようぜ、ダブルデート!』
『お前、彼女いたんだっけ』
『何を言っているんだ!俺の可愛いヒューマノイド恋人、凪ちゃんを忘れたとは言わせねえ』
『まだ返却していなかったんだ』
『あったりまえだ!まあ、いい。空いているんだな?そしたら明日、十時に大学の最寄り駅集合な!』
『わかった』
 一方的に予定を決められたが、仁は元々そういう奴だったと思い出し、斉田に連絡をする。
『急な話で悪いんだけど、明日、仁とその彼女とダブルデートすることになりそうなんだ。空いている?』
 斉田からはすぐに返信が来た。
『空いています。どこ集合ですか?』
『朝十時、大学の最寄り駅集合、だそう』
『わかりました!場所は決まっていますか?』
『いや、なんも聞いてない。聞くのを忘れていた』
『じゃあ、私が聞いておきます。わかったら、連絡します』
 やり取りはここで終了し、暫くした後に渋谷でランチという連絡が改めて斉田から知らされた。斉田は仁の彼女がヒューマノイドだということを知っているのだろうかとふと疑問に思った和貴だったが、すぐにその疑問は頭から追い払った。
(仁の恋人がヒューマノイドだろうが人間だろうが斉田にとって関心はないだろう。彼女の関心は和貴に向けられているのだから。)
 そう思うと、彼の心が少し晴れた。




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