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『シンプルな世界』七


 和貴が集合時間ぴったりに行くと、既に他の三人は来ていた。
「お、来た。これで全員揃ったな?よし、出発!」
 渋谷行きの列車に乗り、混雑するハチ公前に辿り着いた。そこから、仁が行ってみたいと言っていた最近人気のイタリアンレストランに向かった。仁のヒューマノイド彼女が予め予約しておいたという。
「凪さん、ありがとうございます」
 斉田が仁のヒューマノイドに向かって軽く頭を下げると、彼女は「いえ」と胸の前で小さく手を振った。はにかみながら眉を寄せる表情は庇護欲をそそる。仁がハマる理由も一理ある、と和貴は正直に感じた。凪は腕を仁に絡ませ、横に並んで歩いていく。とてもヒューマノイドとは思えない。言われなければ人間だと思うだろう。
「……って聞いてますか?先輩」
 斉田が怪訝な顔をして和貴の顔を下から覗き込む。彼は前を歩く二人の姿を熱心に見るあまり、斉田の言葉が右から左へと流れていっていた。
「ああ、ごめん。ぼうっとしてた」
 目を瞬かせると、斉田を見下ろして曖昧に微笑んだ。斉田はふいっと視線を逸らして「そういうの、ずるいです」と言った切り、黙りこくってしまった。そのまま無言で歩いていると、仁が彼らを振り返った。
「ここだ」
 彼が視線で示したのは、鉄筋コンクリートの小さなビルだった。そのビルの外に面した階段を三階まで登ると二組ほど待っているらしき客の姿を認めた。
「私、確認してきます」
 凪が仁に絡ませていた腕を解き、三人を置いてさらに上へと登っていった。やがて彼女が「もう入れるそうです」と戻ってきたため、待機している二人組の客を追い抜いて、冷房の効いている店内へと入っていった。

 メニューを決めてすぐに、斉田がお手洗いへと席を立った。仁は早速凪の聴力機能を切って、和貴に話しかけた。
「どうよ、俺の凪は?」
 質問を投げかけて置きながら、是以外の回答は受け付けないという雰囲気を醸し出す仁に和貴は呆れた。しかし、事実は認めようと口を開いた。
「とても素敵だね。俺のとは大違い」
 和貴は頬杖をつきながら愛のことを思い浮かべた。家事全般をやってくれて、話し相手にもなってくれる美しい理想的な人形。だが、それだけ。恋人というよりは家政婦に近い。
「だろう?」
 鼻高々な様子の仁だったが、すぐに眉を潜めて声を低くした。
「素敵じゃないのはお前がちゃんと恋人として扱ってないからじゃないのか?確かに、凪は生物学上人間じゃない。でも、それがなんだっていうんだ。俺が彼女を恋人だと思えば恋人だし、人間だと思えば俺にとっては人間なんだ。シンプルな世界、だろう?」
 その言葉に思わず顔を上げた和貴は、まじまじと仁を凝視した。「何だよ」と仁が不愉快そうな顔をする。しかし、和貴はそれに構わず思案し始めた。素敵にならないのは和貴自身のせい。家政婦のように感じるのは彼女を、愛を好きになり、しっかりと恋人として扱っていないから。彼女はあくまでもヒューマノイド。所有者である人間に応じて変化していく。触れ合いが最低限であれば情報があまりにも少なすぎるため、ただの便利なロボットに成り下がっていく。愛を恋人にできるのは和貴だけなのだ。恋人が人間でなければならないと拘っていたのは和貴が恐怖を感じていたからだ。もし、ヒューマノイドと人間の境目が曖昧になって、自分のアインデンティティが揺らいだら、と思うと体が震えたのだ。だが、本当はそうしてそれぞれの違いをはっきりさせようとするほど、ヒューマノイドが人間に近しいことを認めているという証拠に他ならない。
「実は俺……仁には悪いが、ヒューマノイドを本当の恋人扱いするの、痛いと思ってたし、人間とヒューマノイドを一緒くたにするのを拒んでいたんだ。だけど、今、仁の言葉を聞いて何でそんなことに引っかかっていたのかと馬鹿らしくなったよ。」
 和貴はすっかり憑き物が取れた、晴々とした表情で仁に礼を言った。仁が突然の感謝の言葉にどぎまぎしていると、斉田が戻ってくるのが見えた。仁は慌てて凪の聴力機能を入れた。
「お待たせしましたって……どうして仁先輩は微妙な顔しているんです?反対に和貴先輩はなんだか爽やかだし」
「俺にもわからない」
 仁は窓の外を見つめながら言う。それに対し、斉田は「そうですか」と納得していない表情で和貴の隣に腰掛けた。

 大学やアルバイトの話をしていると、あっという間に食事が三人分運ばれてきた。後から来た飲み物も三人分だ。凪の前にはアイスコーヒーが置かれた。仁は飲み物を頼んでいない体になっている。
「格好だけでもやらないとな?凪が楽しめないだろ」
 仁はそう言うと、凪に向かって照れたように笑う。凪も嬉しそうに笑う。本当の恋人のようだった。
「ヒューマノイド恋人とのダブルデートとか私、したことなかったので新鮮です。食事の時はこうするんですね」
 いくらヒューマノイドとはいえ、一人分は一人分。オーダー数を負けてくれる店は少ない。そのため、仁は飲み物を二人分飲むか、大勢の場合は今のようにして注文することが多い。
「凪みたいなヒューマノイド恋人を作るのは男が多いって話だが、最近では女性にも普及してきているって話を聞くからなあ。いつか、美里ちゃんも作るかもよ?ヒューマノイドの恋人」
 茶目っ気たっぷりに笑う仁に対し、「やめてくださいよ。和貴先輩と付き合ったばかりなのに、縁起でもない!」と拳を振り上げて怒る振りをする。
「そういえば、こいつ、まだヒューマノイド恋人返却してないけど、いいの?所謂浮気だよ」
 余計なことを、と思いつつ和貴は斉田の方を見る。
「本当は私も別れてほしいですし、先輩にもそう言ったんですけど……」
 ちらりと斉田が和貴を見上げる。後の説明は彼が引き受けなければならないようだった。そこで、違約金の話を持ち出すと、仁は深く頷きながら納得したようだった。話終えた後に凪の方を見た和貴だったが、特に表情に変化は起きていなかった。
「違約金は半端ないからなあ。美里ちゃん、我慢だ!」
「……はい」
 美里はパスタを口の中で咀嚼しながら、小さく頷いた。仁は和貴を見てにっこりと笑った。か、と思うと口パクで「さっきの会話、秘密にしておく」とさらに笑みを深めた。和貴は罰が悪く、仁からそっと目を逸らした。
 
 会計を済ませて、イタリアンレストランを後にすると、ショッピングをすることになった。適当に店をまわり、主に女子の買い物に付き合うことで平和に時間は過ぎていった。午後三時を回った頃、斉田が「甘いものが食べたい」と言い出し、仁もそれに賛同した。二人して人気店を探し、ああでもないこうでもないと相談している。和貴はその隙に凪に話しかけた。
「仁とお似合いだなって思ったよ。今日一日、一緒に過ごしてみて」
「ありがとうございます」
「仁の恋人って幸せ?」
 凪は少し困ったような顔をしながら「幸せです、半分は」と答えた。
「どうして半分なの?」
「だって……私のような存在は『返却』されることが日常茶飯事ですし。いつそういうことが起こるとも限らないですから」
 途端に和貴は先程の凪の変化のなかった表情を思い浮かべた。あれは必死に悲しみや怒り、そして遣る瀬なさを取り繕っていたのだ。しまった、と思い謝ろうとしたが仁に呼ばれて遠くへ行ってしまったあとだった。伸ばしかけた腕を下ろした時、斉田と目が合った。ばちり、と音がしそうなくらい彼女からの視線が痛かった。
(なぜ痛いのだろうか。)
 その時の和貴は疑問に思っただけで、考えることはなかった。

 人気店のパーラーでフルーツパフェを食べたあとは、それぞれのカップルで別行動することになった。
「和貴先輩……」
 仁と凪と別れたあと、斉田が地面を見つめたまま和貴の手を握りしめ、振り絞ったような小さな声で彼を呼んだ。
「先輩は……いえ、何でもないです。行きましょう」
 急に顔を上げたかと思うと、明るい声色で和貴の手を引っ張った。
「どこに行くんだ?」
「えーどこでもいいんですけど……あ、公園でも行きますか!」
 それから二人は代々木公園まで歩いていった。
「結構広いんですねー!代々木公園」
「来たことないの?」
「はい、初めてです。先輩は?」
「俺も初めて」
「なんだ、一緒じゃないですか〜」
 二人は適当な場所に腰掛けて生い立ちや家族のことなど、これまで触れてこなかった話について語り合った。気がつけば外は暗くなり、晩ご飯を食べるか食べないかと迷うくらいの時間になった。
「そろそろ、帰ろうか」
 散々今日は散財したわけだし、と冗談っぽく言うと斉田もつられて笑って頷いた。代々木公園駅から帰ることになり、駅に向かって歩き始めると斉田が暫くしてから手を引いて歩みを止めた。和貴が振り返ると、斉田が恥ずかしそうに目を伏せながらキョロキョロと辺りを見渡していた。一瞬何をしているのか不思議に思ったが、他に往来がないのを見て悟った。斉田を抱き寄せ、和貴は軽く屈むと彼女の唇に自分のそれを軽く重ねた。閉じていた瞼を開けると斉田の真っ赤に染まった頬と潤んだ瞳が近くに見えた。彼はすぐに体を離すと、彼女の手を再び握りしめ、駅に向かって歩き始めた。そんな彼の後ろ姿を斉田は少しほっとした様子で見つめていた。


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