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『シンプルな世界』十七

十七
 暫く大学を休んでいた仁が気掛かりだった和貴は何度も電話したりメッセージを送ったりしたものの返信がなかった。いよいよ警察に連絡することを考え始めた頃、ようやく仁が大学に顔を出した。
「仁!」
 少し窶れた仁の体をがっしりと掴みながら、和貴が話しかけると「すまんな」と力なさげに笑った。
「単位ギリギリだぞ、お前。もうここから一回も休めないこと、わかっているのか?」
「ああ」
 これまでの講義資料などをファイルに添付して送信すると、仁は大層有り難がった。暫くは講義の話をしていたが、その話題も尽き、とうとうこれまで休んでいた経緯を聞くことになった。
「お前、何でこんなに長期間休んでいたんだよ?まさか、夏休みがもっと欲しくて、とかじゃないよな?」
「まさか」
 またしても、力なく笑う仁に和貴は「本当にどうしたんだよ」と真剣な表情で聞いた。仁はふと無表情になったかと思うと、一つため息をついてから答えた。
「凪と別れたんだ。それで、親父の図らいというか、罠で人間の女性と結婚することになった。卒業と同時に、な」
「何だよ、それ。どういうことだよ、罠って!」
「……夏休み明けて、大学始まった初日。講義から家に帰るともう凪の姿がどこにも見当たらなかった。父親の手下にきっと連れ去られたんだ。それで……」
 そこまで言って、吐きそうになった仁を見て和貴が急いで彼の背中を摩る。
「無理して、言わなくてもいいぞ」
「いや、いい。お前は知っておいた方がいい」
「わかった」
 吐き気が治った彼はそのままポツリポツリと話し始めた。
「それで、凪のメモリーが全て消去された。多分、脳のスペックも落とされて……。これまでのように会話もできなくなった。ただ事務的なことしかできない、掃除ロボットになってしまったんだ。もうあれは凪じゃない……。凪じゃないんだ。凪っていう名前で登録されているから、凪と呼べば今まで通り、あれ、、はやって来る。でも、あれは彼女じゃないんだ……。なあ、言ってる意味、お前ならわかるだろう?あれは機械なんだ。俺が愛した彼女じゃないんだ……。俺が見ていた世界も複雑だったということなんだろうか」
 悲痛な仁の叫びに、和貴も下唇を噛んだ。
(許せない。同じことが愛の身に起きたら怒りでどうにかなりそうだ。)
「一人で耐えていたんだな、お前は……。凄いよ。お前は凄い」
 和貴のその一言で、もう枯れた筈の涙が一筋だけ、仁の頬をつたったのだった。

 一人暮らしをしていたマンションを解約して、実家暮らしに戻った仁は、大学まで迎えの車が来るようになった。ふらふらとその車に吸い込まれるようにして帰っていく仁を心配に思いながらも見送った和貴は、仁の話を聞いてから思い出していた自分の両親について考えていた。
 和貴の親もヒューマノイド恋人のニュースを見た時、かなり否定的だった。特に、母親は「こんな機械と恋愛する人間の気が知れないわ。こんなものが商品として売れるなんて、世も末ね」と言うほど嫌っていた。父親はまだしも母親に愛のことがバレたら、和貴もただでは済まないだろうという気がしていた。なぜ母親がそれほどまでヒューマノイドを嫌うのか、直接本人に聞いたことがあった。すると、不承不承ながら昔話を語ってくれた。
 まだヒューマノイドが出回り始めた頃で、一般的には普及していなかった時代、新しい物好きの父親がヒューマノイド恋人を面白がって買ってきた。母親もその時は家事の負担が減ると喜んでいたが、どうも、父親がそのヒューマノイドにのめり込み始めたらしい。かなりの額を、そのヒューマノイドに注ぎ込んでいることを発見した際には離婚する、しないの話にまで発展したとのことだ。これが母親がヒューマノイドを嫌う理由だった。
 恋人のままなら隠し通すことはできるだろう。しかし、和貴の中に最近、一つの欲が生まれていた。それは、愛と結婚をして一生を添い遂げたいというものだった。だが、この夢が実現には程遠いことを和貴自身、誰よりも理解していた。
 現在の日本では、ようやく同性婚が認められたところであり、世界的に見ても遅々としてマイノリティーの人々の権利に関する法整備が進んでいない。そんな中で人権がヒューマノイドにまで一気に拡大するとは思えなかった。また、世界でもヒューマノイドと人間の結婚は未だかつて例を見ない。どこかに前例があればその国へ行き、権利を行使することも可能だが、それもないのであれば絶望的だった。よって、誰かが前例を作るしかない。それが和貴にできるかできないかは問題ではなく、やるかやらないかの問題だった。

気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。