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許されるために生きる

こねこです。

ついこの間Amazonプライムに『アンナチュラル 』が追加され、友人たちに前々からお勧めされていたこともあって見ました。

非常に面白くて続編を期待される理由も納得でした。
米津玄師の曲も凄くマッチしててよかった。

友人たちに「アンナチュラル見たよ」と伝えたところ、「あのパプリカのシーンめっちゃ怖かったよね!!」と彼女たちが盛り上がっており、私はさっぱりなんのことかわからない。

なんと。

私は7話だけをすっぽかす失態を犯しておりました😓😓
こういうところが抜けていると言われる要因でしょうね……。

それで。

早速今日になって7話を見ました。

いじめによる自殺というのは考えさせられる問題だったのですが、私はそれ以上に白井くんが自分だけ生きててもいいのかと泣きながら問いかけるシーンが頭に残りました。

ドラマの中で中堂さんが「許されるように生きろ」と言っており、これぞ最適解だと思いました。

私も実際そうでした。
近しい人が亡くなった時、どうして私は生きているんだろうと自分を責めました。
でも、結局日々は続いていくし、地球は回り続けるんです。
だったら、私は亡くなった人が私に期待していた分だけ生きて恩返ししないとな、という考えに自然と変わっていきました。

「まだ顔向けできない」

そう思いながら、普通なら恋愛や遊び、酒など所謂「若者の特権」のようなものに感けることもなく、何もかも捨て置いて全力疾走してきました。
ある人から見れば私の人生は凄くつまらないでしょう。
ある人から見れば私の人生は恵まれているでしょう。
ある人から見れば私の人生は精神的苦痛の繰り返しでしょう。

……結局、人の人生なんてものは多面的で「これ」と定義できるものではないと思います。
多面性があるからこそ、どこかで誰かを傷つけている。また逆も然りで、どこかで誰かを救っている。

だから、私は許されるために生きるのです。

「生まれた時から罪を背負っている」
なんて言葉もありますが、私はそれは無責任だと思っています。
罪は自らの行動の結果伴う責任です。
生きるということは責任を負うということ。
責任を負っている者のみ許しを請えるのです。

私は汚れのない人間になどなれないと知っているから。
せめて、許しを請える人間でありたいと常々願っています。

皆さんはどうですか。

気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。