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ダムタイプ展など清澄白河散歩

今日はお休みをとって、東京都現代美術館の「ダムタイプ アクション+リフレクション」展に行ってきた。


このために休みを取ったというよりは、別件で行きたいところがあって休暇にしようか迷っていたところ、どうせならこちらの展示も参加することにして終日オフにした、という次第です。金曜を休みにしていろいろ活動するのとても楽しい。

現美もたいへんひさしぶり。一時期は美術館に頻繁に行っていたものの、すっかり離れてしまい、近年は小さいギャラリーで、所有したいからどうか目線で作品を見ることの方が楽しくなってしまった。美術館に出かけていって、お金を払い、1〜2時間とゆっくり鑑賞するというのは、なかなかゆとりがないと楽しめないアクティビティであった(最近の私にとっては)。

ダムタイプは、そんな私を美術館まで足を運ばせる関心の強度があった。私がダムタイプを知ったのは、10数年前のたしか20歳の時のことだった。京都造形芸術大学でS/Nのビデオ上映に行ったのだ。聾者、ドラッグクイーン、ゲイ、セックスワーカーとさまざまなマイノリティが心境を吐露するのと、過激なパフォーマンスとインスタレーションは若い私の心に深く刻み込まれた。

その後、上京してもう一度、早稲田大学でS/Nの上映を見る機会があった以外は、うすーく関心を寄せる程度であったが、パフォーミングアーツも映像作品にも疎い私にとっては、十分インパクトのある団体なのであった。

今回のダムタイプ展は、ダムタイプの公演で用いられたインスタレーションや映像作品を、現代的、現代の技術を使って再構成されたものだ。もともとがパフォーマンスであるものがどう展示されたのかは興味があったが、ここのパフォーマンスで伝えたいメッセージを凝縮するのにインスタレーションは十分適していたと思う。ボリュームとしては少し物足りないような気もしたけど。

ひさしぶりに美術館の展示を見る際に気にかけたのは、(そんなに早起きできなくて時間がたっぷり取れなかったのもあり)ちゃんと見ようとしなくてもいいやということだった。作品を批評的に見たり、細部を覚えたり、何か感情を持たなきゃと思ったりしなくていい。作品を見ることで、これまでの自分の延長線上では思い浮かばないことが浮かんできたら、それだけでたいへん価値がある、と考えながら見ていた。

たとえば、展示のタイトルやコンセプト、表現方法が、自分のアウトプットのヒントになり得たりするのだ。pHというパフォーマンスでは二項対立をテーマにしていて、たとえば「拡張/圧縮」という対立について考えたとき、「拡張」はポジティブな概念としてよく使うけど、じゃあ「圧縮」という概念はどうなのか、といったことを考えたりしていた。

展示のタイトルが「アクション+リフレクション」とあり、対外的な行動と、内に向かう内省(反射)という意味が、今の自分に合っている気がした。

清澄白河、現美のほかにはコーヒー店を楽しんだ。最近は、知らない場所を散歩する際にはコーヒー店を検索するのがセットとなっていて、そういえばブルーボトルコーヒーのフラッグシップ店があるだけあって、ブルーボトル以外にも素敵なコーヒー店があった。

ブルーボトルコーヒー 清澄白河フラッグシップカフェ

Arise Coffee & Roasters

他にも楽しそうなコーヒー屋があり、また散歩したい街だった。

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