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オケマン達のバベル-その名は音楽大学-

先日、音楽大学に関するこのような記事が話題になった。


この記事を受けて音楽大学の中でもとりわけ、管弦打楽器における指導や教育おける問題を考えていく。(ピアノや作曲、ポピュラー音楽や邦楽については門外漢であるため別の方に譲ることにする)


さっそくだが、現在の音楽大学における一番の問題はこのことに尽きる。

それは、

「『演奏家にとってプロオーケストラへの入団や、音楽だけで生活することが至高である』という考えを妄信し続けていること」

である。

この考えへの妄信を核にして、音楽大学における種々の問題が複雑に絡みついている。

①プロオケ正団員をめぐるイス取りゲーム

 音楽大学に入学すると、西洋の管弦打楽器(定席のないサックスや定席が無いに等しいハープを除く) では、オーケストラを中心とした授業が展開される。また個人レッスンでも、オーケストラのレパートリー(オーケストラ・スタディ)や、後述のオーディションにて課題曲として提示されることの多い協奏曲の習得を目指したレッスンが行われることが多い。

 それもひとえに、日本オーケストラ連盟に加盟しているプロオーケストラ団体、一流の演奏家が集まるいわゆる「プロオケ」に入団するためであり、それが演奏家としての名誉とされる。

 とはいえ、入団への道は並大抵ではなく、そのそも採用のためのオーディションは正団員の退職などによる欠員が出ないと開催されず、年に数回、席の少ない楽器によっては数年に1度しか開催されない。この1つの席のめぐり、オーディションには国内外全国から毎回100人前後が参加し、その中から1人が採用されるのである。(合格者無し、という場合もある)

 では、プロオケの団員であることは何がそれほど魅力的なのか。主な理由は3つ挙げられるだろう。

  1. オーケストラ事務局が確保してきた年間100公演前後の本番が与えられ、クラシックの定番曲を中心としたレパートリーで文字通りに「演奏」するだけでサラリー(給料)や福利厚生が与えられる。(その他のそうした団体は自衛隊音楽隊があるのみにとどまる)

  2. 演奏家お墨付きの一定の高い水準を超えた技術を持つ演奏家であるという音楽業界での圧倒的ステータスが得られる。

  3. 所属団体以外からの出演依頼やレッスンのオファーなどが積極的に得られる。

 つまるところ、一般に想像される「音楽だけで生活をする」ことが可能なのであり、その音楽業界において高い演奏技術を持つ強者として一目置かれる存在になれるのである。

②フリーランス演奏家における『経営者』意識の欠如

 しかし先述のとおり、プロオケのオーディションは100人に1人が合格する世界である。

逆に言えば、100人中99人の演奏家はフリーランス(=個人事業主)の音楽家であり、毎年毎年、日本全国の音楽大学・芸術大学は大量の個人事業主を輩出していることになる。

 ところで個人事業主といえば、SEをはじめとした一般的な技術職であれば、「数年間企業に勤務して開業費用とビジネスノウハウやスキルを得て、その後に個人事業主として独立、その会社からあるいは、そこで獲得したお得意様から仕事をもらいつつ次第に独自の事業や自分の会社を展開していく」というケースが多いようである。新卒などでいきなり個人事業主になって成功するケースというのはあまり多くない。

 また、フリーランスとして独立後に要求されるのは、それまでの会社勤めのように会社から頼まれたあるいは依頼された業務を請け負い的にこなすことだけではない。むしろそれよりは、現在の収入源とする堅実な事業、先行投資や損失やリスクを踏まえた将来性のある新しい事業の展開やゆくゆくは会社として経営するなど、1プレイヤーとしてよりも経営者として会社の舵取りの感覚が大きく要求される。

さて、それでは音大を卒業したフリーランス演奏家の場合はどうだろうか。

 先述のとおり、新卒かそれに近い年齢でコンスタントに仕事と定給をくれるオケや団体に所属することはまず不可能である。また、卒業後は仕事につながるコネも少なく、元手となる開業資金の持ち合わせもない。それどころか奨学金という借金をしている場合も多い。そして、展開する事業プランも無いのに「とりあえず開業届を出す」あるいは開業していない音大卒業生は多い。つまり、ほとんどのフリーランス演奏家は、一般のフリーランスが会社勤務で培う「経験」「コネクション」「資金」何一つの手がかりもなく開業している状態であると思われる。

卒業後、そうした中でできる生活といえば、

  1. アルバイト並みの賃金の音楽教室の講師や部活指導者として雇われる

  2. アルバイト以下の謝礼で演奏会や音大の授業補助に出る

  3. アルバイト並みの時給でアルバイトをする

ことであり、実際大半の音楽家が(一般人以上の高度な演奏技術や知識を持ちながら)、こうした生活を送っていると思われる。数少ない演奏依頼やオーディションに応えるため、楽器の練習時間を確保するため定職に就くことはできない。しかし、そうした生活を続けて状況が打破されることは難しいだろう。

 音大卒業生がこうした生活に落とし込まれる一因には背景には、「個人事業主=経営者」という意識、つまり「『自分』という商品を扱う会社の社長である」という感覚の圧倒的欠如が考えられる。

なお、ここでいう経営者意識とは「リハには絶対に遅れない」「仕事は引き受けた順」などの1プレイヤーとしての小手先の心構えや、「無料や格安で演奏しちゃダメ」「音楽家に『ちょっと弾いてみて』と言うことは店での万引きと同じ」などのプロ演奏家としてのプライドを満たすための稚拙な主張のことではない。

経営者意識とはすなわち「誰かが仕事を依頼してくれるのを待つだけでなく、金銭面リスクや資金工面や集客、将来性を踏まえたビジネスを"自分で"展開できる能力」のことである。

(ただし請負業務だけで生活するフリーランス音楽家も少なからずいる事実を反例として挙げておく。しかし大多数については上記のような生活をしていると思われる。また、こうした能力が要求されるかどうかは、置かれている環境や個人のスキルのパラメータ配分に依るところが大きいところではある)

③卒業生を見殺しにした音楽大学の罪

 フリーランス演奏家における、こうした経営者感覚の欠如の大きな一因は彼らが過ごした音楽大学にあると思われ、特に大きな原因が3つ挙げられる。

  1. 音楽大学での指導教授陣がプロオーケストラ正団員、すなわち演奏請負業務のプロであり、自分自身で資金調達や集客努力、企画や仕事を作る必要の無い演奏家でほとんどが構成されていること。

  2. 音楽大学での公演企画における、特に資金調達や集客面での教育・周知の不足。

  3. 音楽大学での入試段階において、音楽大学の存続・維持費のために、オケマンとしても個人事業主として不適な学生を大量に入学させていること。

そして、この3つを統括しているのが『演奏家にとってプロオーケストラへの入団や、音楽だけで生活することが至高である』という考えである。

音楽に全くなじみのない一般人ですら想像できるような安直なこうした考え、そして「コンクール入選数やプロオケ入団数、演奏技術でしか評価できない能力主義的な価値観」、これらの考えを、音楽教育の専門機関であり数多の演奏家のその後を見つめてきた音楽大学において、是正させるどころか助長させたまま、学生を排出(あえてこの誤字とする)し続けてきたことのしわ寄せが現在の音楽大学の凋落を招いているのではないだろうか。

このような状況を打破するため、3つの教育方針の転換を提案をする。

  1. プロオケ入団を主たる目的とした指導ではなく、音楽や楽器と他の収入源と両立可能な多様なライフスタイルの提唱と受容、そうした生活を実践する音楽家も講師として登用すること

  2. 楽器演奏技術のみでマウントを取らせるのではなく、自分自身が音楽や演奏とどの程度の距離感で付き合うのが自分にとって心地良いのか、音楽界に何を提案できるのか自身で考えさせること。

  3. 自分で仕事を作る方法、資金工面の手段を考えさせることとその実践

 つまるところ、1人のオケマンの培養のために他の99人を養分にするのではなく、よりその99人の生活にフォーカスした大学を目指すことが、卒業生にとっての幸福の最大化、そして音楽大学の存続につながると考える。

 なお、大学は教育機関であると同時に研究機関であるため、音楽や演奏技術の最先端であるべきで商業、経営的な就職予備校のような教育をするべきではない、という指摘があると思われる。

 しかし、一般の大学と大きく異なるのが、専攻科目に対する近接業種への就職が圧倒的に少なく、また、卒業生の進路において「就職」に力を入れずに「演奏家・音楽家」「進学」などと称して大量の不良債権のようなフリーターを世に送り出している点であり、その事実に対して見て見ぬふりをし続けていることが問題なのである。

そうした若い大卒の労働力をフリーターとして、また経営力の無い個人事業主として大量に排出してることは社会の経済的損失である。また「そうした生活を強いられるのは音楽を夢見た者の自己責任」して切り捨てることは社会正義にもとるのではないだろうか。


 長文となってしまったため、今回はここまでとしておきたい。

 補足として挙げると、この音楽大学にかかる議論を難しくしているのは「実際に音大卒業生がどういった生活してるか、ブラックボックス化していること」そして「オケ団員でなくとも請負業務だけで生活している演奏家も少なからずいること」である。SNSに限らずたとえ演奏会の共演者であっても収入源が不明な音楽家があまりに多いのである。また、音楽家自身が音楽や演奏とどう向き合いたいのか、演奏による何を喜びとするか、それこそそれぞれ個人の考えに依るため、簡単に一般化できないというのもある。

 ここまで音楽大学やプロオケについて批判的に論じてきたが、批判的に論じた責任は負わねばならない。具体的にどうすればよいのか、今回触れることのできなかった内容も多くあるため、今後も可能な限り継続的に記述していきたく思う。

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