見出し画像

日常に潜む素敵さ

特別感・・・お休みの日になると求めること。一週間を過ごして充実した自由な時間を過ごしたいと思う事は自然かもしれません。何を隠そう私自身もそうです。基本的に月~金は仕事で土日が休み。よくあるタイプです。

ふとした時に、24時間を自分の思う充実した時間に出来ているのか?と考えることがあります。そもそも充実した時間というのは何なんでしょう?

恐らく、「時間の感覚が間延びしてる時間」ではないかと最近感じます。それは例えば何かに没入している時間の一時間とスマートフォンをスクロールしている時間・・・・・・もちろん何か調べものだったり、必要になることがスマートフォンには多いですが、スマートフォンに限らずテレビを見ている時間、要するに特に考えることなく受動的に眺める時間はアッという間なんでしょう。

デジタルデトックスという言葉を聞いたことはありますか?少しの時間日々のデジタル機器から身を離してみることです。逆にいうとローテクのもので過ごすこと。少しの間試してみました。案外気持ち的に最初は不安ですが、いけるもので楽になります。自分本位になるというか・・・。

その間に料理を作ったり、本を読んだりしていると一時間の長さが違うことを実感します。そして身の周りのことに気が付くようになります。

近所の道で美しい風景をみたり、空気の冷たさに季節を感じたり、太陽の傾きに時の移ろいを感じたり、思い出が思い出されたり・・・・。様々な日常に潜む美しさを感じることができます。案外身の周りに特別感の種は転がっているんだなと感じることがあります。

社会的にサスティナビリティという言葉をよく聞くようになりました。サスティナビリティ・・・持続可能性ということみたいです。産業界や財界、様々な利益に対して効果があるから最近聞くようになったように思いますが、とらえ方で私自身は生活様式をサスティナビリティのあるものに変えていくことは多いに賛成です。自分のもっているもののトレースビリティを追ったうえで、どんな経緯で自分生活が成り立っているのか?そんなことも考えながら、消費するものは選びたいなと。

サスティナビリティは個人間で差が生まれる感覚となる。

サスティナビリティはガイドラインがあるようですが、結局は個人の感覚に規定されてしまう感覚になるでしょう。ただ受け取りかたリリースの仕方で個人を幸せにする感覚かもしれません。先ほどお話した日常に潜む充実感は方向として、目の前にあることに集中して、そこから自分の好きなことを抜き出すことです。際限のない情報消費をなくし、身の周りのものから受ける情報量を上げる。情報密度を上げる。そういった意味です。身の周りからの意味をよりくみ取る。サスティナビリティのある生活を実践していくなら個人の感覚は消費とは違い、つまるところ自分の生活は「美しさ」に規定しているのか?製品ならトレースビリティ内にどれだけの意味や全体の工程がどれだけ美しいのかが大きな意味を持つようになります。

もし、個人の生活様式の基盤にそんな美しさや意味を一つ一つのものに対して求めることが普通になれば、世界はより美しくなるのではないでしょうか。

自分の時間を長くする・・・身近なことに目をより向ける。関心を持って美しさを追求する。自分の充実感・自分の特別感をより感じる為には日頃の習慣を少しストップして、目を目の前に向けることからははじめてみてはいかがでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?