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「ちゃんとサボってるか?」が口癖の上司に学ぶ、リモートワーク時代の成果の出し方

私のキャリアは1年弱の営業職の挫折から始まるのだが、その時の上司はなかなか魅力的な人が多かったと思う。
とくに当時の部長は大変とんがった人で、いろいろな意味で本質的なことをとても良く捉えた人だった。

中でも特に私の印象に残っているのは、その人がしばしば口にしていた「ちゃんとサボってるか?」という部下の労い方だ。
管理する側の立場にある人間が、なにゆえ部下にサボタージュをすすめるのか。当時新卒、社会人としての常識どころか人としての常識も随分と不足していた私にとって、その言葉は禅問答に等しかった。あれから10年近くの時が経ち、ようやくその意味がわかってきた。自分なりにまとめてみようと思う。

要するに、成果をあげるためなら何でもしろということだったのだ。


人間の集中力と「8時間労働」のミスマッチ

そもそも現代の「8時間労働」とはどこから生まれたのであろうか?
8時間労働制が生まれたのは産業革命後のイギリスで、「仕事と休息と趣味を1:1:1の割合に」と言ったコンセプトから生まれたものらしい。
「できる限り多くの成果を上げてほしい」と考える会社と、「できる限り自分の時間がほしい」という従業員との協議の上で設けられた妥協点だ。

この時の「労働」というのは、そのほとんどがいわゆるライン化された工場での単純作業だ。しかし、現代のオフィスワーカーの仕事はそうではない。そのほとんどが高度な集中力が必要なものだ。
現代では、個人で仕事のやり方を決められる仕事であれば、集中力をうまく使えば作業を効率化できることがほとんどだ。惰性で8時間かけた仕事が、集中して考えた工夫次第では5分で終わることがある。現代はそういう時代になってきている。(とくに、私がやっている「エンジニア」という仕事はその傾向が大きい)

ここで残念なことがひとつある。それは、人の集中力は8時間も持続しないということだ。1日4時間も集中したら、人間は普通クタクタになるものだ。学生時代を思い出してほしい。1時間のテストを1日4コマもこなしたら、その日はもうなにもやる気が起きないほどに疲労していたと思う。
もちろん、我々は「大人」で、学生の時よりは集中力は増しているとは思う。しかし、それにしても「倍以上の時間」「毎日」集中を続けることは難しいと思う。集中力を高めるための仕事術で有名なポモロードテクニックでも、1日8時間も集中する時間を作るのは明確に「やりすぎである」としている。
もちろん、仕事をしていると1日8時間か、それ以上の集中を求められることはある。締め切り間際や、緊急対応などといったケースがこれに相当する。しかし、それはあくまで「最後の力」として運用しなければならないものだ。常態化するといわゆる「バーンアウト / 燃え尽き症候群」を誘発し、結果的に長期で見たときの生産性が下がってしまう。

「8時間きっちり労働する」というのはそもそもが妥協点だ。ようするに「できる限り多くの成果を上げてほしい」という会社側の要求を実現するための手段でしかない。
先の上司はが伝えたかったのは
「8時間頑張って仕事した気になってないで、サボっても良いから成果をあげろ」
そういうことを伝えたかったのだと、私は解釈している。
効果的に「サボり」を挟み、高い生産性と健全な体調を維持する。これは現代で仕事をする上で必須なスキルであると言えるかもしれない。


「ちゃんとサボる」ということへの考察

とはいえ、サボりにも良いものと悪いものがある。
本記事ではサボりを「集中力を回復するための効果的な休息」と定義する。それに沿う物は良いサボり、その目的に合致しないのは悪いサボりということになる。

最も良いサボりは、オフィスでの雑談である。一時的に眼の前の仕事から離れてリフレッシュでき、雑談内容によっては仕事への理解や最適化が進んだりする。一般的にタバコ休憩は悪しきものとされがちだが、「業務時間にコミュニケーションを取れる休息時間がある」という側面では素晴らしいものである。(それ以外の側面で問題があることは事実だが)
ほかにも、デスクを軽く片付けるとか、仕事関係のブログを読み漁るとかいったことも効果的な「サボり」だと思う。こういった「所属する組織へ一定の貢献になっている」というサボりは、非常に効率が良いと考える。

次点で「まあ悪くないな」というのは、わかりやすい休息だ。コーヒーを淹れるとか、仮眠を取るとか、シャワーを浴びるとか、軽く外を散歩するといったことだ。
まあ、そのほか色々なサボりかたはあると思うが、総論として言えるのは「集中力を回復できるサボりをしよう」ということになる。
業務の内容によっては「組織に貢献できるサボり」は休息にならないことがままある。一番の目的は「集中力の回復」である。「効率的なサボり」を追求するあまり「ただの非効率な業務」になっては本末転倒である。

では逆に、最悪のサボりとはなんであろうか。
それは、デスクの前でじっとしていることである。
自分の疲労に気づかず(あるいは、気づいていても「サボりは良くない」と自分を追い詰め)、まともなアウトプットが出せない状態で眼の前の仕事と向き合い続けることだ。
これは「会社は成果をあげてもらえず」「従業員は自分の時間を失う」という両損な状態である。

休息というのは「仕事をしていない状態」ではなく「集中力を回復している状態」のことである。サボっていることに罪悪感を感じながらチリチリと焦っている状態は休息にはならない。

私はコロナ禍でフルリモートがはじまった直後、この状態に陥っていたことがある。
うまく休息が取れず、頭が回らなくなる。机に座ってはいるが消耗するだけ。だれかと雑談するのも難しい。結果仕事が終わらず、成果に見合わない残業が増えて更に消耗するーー
という悪循環である。

当時の職場は信頼関係が強固だったので、上司から「人間そんなに仕事ばっかりできないので、散歩でもしてくれば?」というフィードバックをもらうことができた。
実践するようにしたところ、「罪悪感」が減り、効果的な休息ーーサボりができるようになった。冒頭の件といい、どうやら私は上司に恵まれる星に生まれているようだ。

それから、私は集中力が枯れてきたら、日光を浴びる時間の確保も兼ねて一回は途中で外に出ることにしている。

みなさん、ちゃんとサボってますか?
わたしはちゃんとサボってます。
成果、あげていきます。


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