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世界の終わりから未来を考えてみる。

 本日も帰りの電車でこれを打つ、何の為かは余り考えないようにしている。その時点でもう考えている。

三百日は優に越えたのでこのnoteの輪郭くらいは見えて来ても良さそうだが今だに分からない。

それでいい、それが本来いい筈だと思うのだがきっとジャンル分けしないとセカイノオワリと同意見と思われるコトを避けるべく多くの方はジャンル分けしたくなるのだろう。

そう、キミたちが嫌っている右翼とか左翼みたいにキミ達だって醤油顔とかソース顔みたいに例えが古いか、ストーンズ派かビートルズ派か、これも古いか、まあ平家派か源氏派か自分ナメダル派っすとか、アタシはバッドホップ派みたいにやがて対立、対決へと導く序章を求めてしまっているのではないだろうか。

ほらもう何を言っているか分からなくなっただろう。オチとかマトメ、要点は何ですか、私のここまでの時間返して下さい。損した。という気持ちになっていはしまいか。そんな奴にはピストルズ根性でバーカ、騙されたテメエが悪いんだよ。という気持ちが正直ある。ブッチャケ、カイラクあ、ここもセカオワのフカセさんと一緒だ。私はやっぱりセカオワ派。

そう、三百数十日費やして一体何が言いたかったか、私はセカオワ派だという事か。
いやそんなとは違う筈だったのだけれども実に残念だ。
考えてみれば私の人生の縮図の様に思えて来た。

 物心ついた頃の私が思い描いていたこの年齢はプール付きの家を構えて高級車を乗り回し、仕事で世界中のサーキット場で命をかけF-1grand prixの首位の常連、資本主義の豚どもが作り上げた高速マシンを操縦し彼らの望み通り繰り広げたそのレース。それを見た頭の悪い資本主義ゲームで割とええところへ行った成金どもにオモチャのスポーツカーを買わせて、そのオモチャのスポーツカー製造に携わる中流家庭の層が少しでも潤えば良いと思っていた。

しかし現実はどうか、ああ電車が到着した。
私はこれからまた配達に行かねば生活もままならない。

何者にもジャンル分けされない、いや違うぞ、そうでないただただ何者でもないだけ私の生き方だろう。
それはそれで貧困で困難、自分が何者かジャンル分けしてそれ以外を毛嫌いする人生それは愉快なんだろうか。そちらへも行けずセカオワハウスでフカセの為に尽くす事も出来ず立ち尽くす。

持続可能な未来はどう進めばいいか。
また纏まらないこれを記すだけ。

#Spoon 近藤フルコース

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