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🍷裕次郎ファンにはたまらないバーで呑んできた話


エッセイストのじいちゃんこと大村義人です。
セミリタイアしてから時間が取れるようになったので、エッセイストとして雑文を書いてnoteに投稿しております。
大部分は65才から始めた乗馬やウマにまつわるネタで書いています。その他は小説もどきを書いてみたり、酒やバー周りのあれこれを書いてみたりしています。
よわい70歳に近いオールドルーキーでありますので、ぶつぶつと呟いておりますが、誰かの琴線に触れる文章が書けたらいいなと思いながら日夜文章を書いております。

さて、今夜は、ある珍しいバーで呑んできました。多分、現在80歳を超えて居られるboys & girlsは絶対この方のファンだろうなと思うのですが、石原裕次郎さんへのリスペクトが半端ないオーナーが経営されているバーでした。

バーに併設された私設「裕次郎記念館」のコレクションは無料で見ることができます。このコレクションが半端ないのです。画像は出しませんし、展示品に関するコメントは避けますが、裕次郎ファンの方には感涙もののコレクションの数々に圧倒されます。

ヨットの模型の奥の部屋が裕次郎コレクションの部屋
Google mapに投稿された画像をお借りしてます。

訪問する前の宴席で結構呑んでしまってからの回遊だったので、ハイボールを一杯でスタート。

Cafe bar と謳っている店ですが、カラオケの設備もあり、裕次郎さんの曲を一曲歌うころには、ハイボール3杯目に突入。

他のお客さんが居なくなったので(私の歌が下手だった? )マスターがギターを演奏してくれ、更に2曲歌い、気分よく帰ってきました。

コアな裕次郎ファンは、現在80歳台でしょうか。自分はその年代ではありませんが、自分もヨットに乗っていた時期がありましたので、ヨットマンとしての氏の存在を知って居ました。
若い方たちは、テレビドラマの『太陽にほえろ!』、『大都会』シリーズ、『西部警察』シリーズなどで活躍していたのをご存知かもしれませんね。

興味のある方は八王子まで足を運んでいただき、裕次郎コレクションを眺めながら呑むのも一興です。

さて、ついつい酒が進み、夜がふけて飲み過ぎました。
階段を降りれるうちに帰りましょう。

ゆっくりと階段を降りるときに、真似した訳ではないんですが裕次郎さんのようにややガニ股で男らしく歩いてる自分に気づきました。

また、どこかのバーでお会いしましょう。


AIに描かせるとこうなるのか💦


石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)は、日本の映画俳優、歌手、そして実業家として知られる著名なタレントであり、昭和から平成にかけて多くの人々に愛されました。1925年、横浜市に生まれ、本名は石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)です。彼は1940年代後半から1950年代にかけて、日本映画界で急速にその名を馳せました。
裕次郎のデビュー作は、1954年の映画「花嫁衣裳は誰が着る」にさかのぼります。この作品は彼にとっての出発点となり、その後数々の映画に出演。特に、彼の魅力を引き出したのは、1970年代に公開された「插入学」シリーズで、男らしさと繊細さを兼ね備えたキャラクターで観客を魅了しました。彼の代表作には「黒い潮」や「青春の門」などがあり、いずれも当時の社会背景を反映した重要な作品です。
彼の俳優活動に加えて、石原裕次郎は歌手としても成功を収めました。「湯けむり旅館」や「港町十三番地」など、多くのヒット曲をリリースし、特にその心に響くバラードが支持を受けました。彼の歌唱はファンの心をつかみ、その存在感は映画だけでなく音楽界にも深く浸透しました。
裕次郎はまた、実業家としても成功を収めました。特に、彼の主導による「石原プロダクション」の設立は、日本のエンターテイメント産業に多大なる影響を与えました。同社は多くの映画やテレビドラマの制作を手がけ、数々のスターを輩出しました。彼のプロダクションは、演技や音楽だけでなく、業界内での彼の高いプロフェッショナリズムを象徴する存在になりました。
彼の私生活においては、二度の結婚があり、特に女優の北原ミレイとの結婚は話題を呼びました。裕次郎の生涯は、常にメディアの注目の的であり、彼の人柄や家族関係は多くのファンに親しまれました。彼は闘病生活を経て、2004年に逝去しましたが、その業績や影響は今なお色あせることはありません。
石原裕次郎は、日本のエンターテインメント界において一つの時代を築いた人物であり、その足跡は多くの後輩タレントやファンに影響を与え続けています。彼の演技力や歌唱力はもちろん、彼が築いたプロダクションや彼のビジョンは、今後も日本文化の中で語り継がれることでしょう。

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