見出し画像

年収だけ自慢する人へ。

(所得を)二倍にすると言ったのは、これは取り消します。二倍になるような政策をとる。この前もここで申し上げたり、また衆議院でも申しましたが、われわれ政治家としては国民の創造力、ポテンシャル・エナージーを刺激し、これを強くし、そして自由な姿で発揮される環境を作るのが私は政治家の務めだと思う。だからこれをするとかどうとかいう問題でなしに、なるような環境を作る。そういう環境を作り、方向づけるということが政治のあり方で、するというのはこれは無理でございます。なるような方向でいこうとしておるのであります。

1960(昭和35)年12月20日、参議院予算委員会

当時の首相・池田勇人による発言。木村禧八郎議員の質問に対しての返答だ。
1960(昭和35)年12月20日、参議院予算委員会の議事録から抜粋した。

池田勇人は『所得倍増計画』を掲げ、首相になる前から手腕をふるい続けた政治家だ。
それでも、所得を倍にする主体は、国民だと明言している。60年以上前に、ポテンシャル・エナジーなんてボキャブラリまで使っている。
政治はあくまで、所得が二倍になるような政策をとる、環境を作り方向をづける立場だと。

先輩方は、手を尽くし頑張られた。
環境が用意されるなら、自分達で豊かになってやろうと。
私などが感謝しても、し足りない。

所得があって当然は、まだまだいる

ところが、私を含めた後輩どもは、勤めさえすれば、所得があるのは当然だと思っていたりする。
ほうっておけば給料が上がるものだと思っている人もいるだろう。
特に大企業などはベースアップ(ベア)といって、慣習的に給料のベースが挙げられ続けている。失礼ながら、労働組合の方の中にも、年中行事感覚で会社側と賃上げ交渉をしている方はいらっしゃると思う。
子どもの頃(バブル崩壊まで)は、大企業や大官庁勤めの方なら、上品で話しやすいと思っていたのだが、今では逆?と思うこともしばしばある。好待遇が当然!は威張って当然!になってしまうのだろうか。。

年収の額だけを威張る輩は、なお性質が悪い。
自分の工夫を尽くしたり、顔を利かしたのならいい。だが、継承した資産やブランド、権威を借りてこその仕事だったなら、勘弁してほしい。自分の無力さを隠したいのは共感するが、少なくとも、先人への感謝が自慢よりも先だと気づけ。

裏返せば、仕事がしやすいブランドや環境を与え、高い給料さえ払えば言うことを聞くと思っている経営者も後を絶たない。言うことを聞く従業者ばかり増やしても仕方がないのに、気づかないか、怖くてできない。
池田内閣も収入を増やす環境を用意したことは同じだが、やり方は国民それぞれに任せている。決まったルールに基づく仕事だけする人は要らない、AIやロボットで十分だ。

所得倍増から”豊かで当然”の同調圧力へ

どうも、年収だけ威張ったり、(有名大卒なのに)考えずに儲けようとする輩が目立つ。
いつから、そうなったのだろうか。
1960年の時点で最も若い社会人は、中学校卒業すぐの1944年度生まれになるから、満年齢で78歳以上になる。
大変失礼ながら、私よりもずっと上の先輩から、変わっていったのかもしれない。

誰もが富まねばならない、豊かなフリをせねばならないといった、同調圧力が続いたのも原因だろう。体面を気にして一戸建て住宅を買ったり、子自身の希望とは関係のない教育費用を重ねたり、行かないくせにゴルフの会員権を買ってみたりなど色々挙げられる。
ローンを組ませてまで住宅を買わせるのは、阪急東宝の創業者・小林一三が着想したことで、当時の自民党や池田内閣のせいではない。教育やそのほかの出費増だって、まず儲かり始めた重化学工業や商社の従業員たちをみて、『だったら、自分達の商品やサービスを買ってくれよ~』と頑張った結果とすれば自然の流れだ。
生産や取引そのものは出来ないが、自然の流れを促すのがまさしく政治である。

とりあえず「所得」を倍増する発想だったから、何に使うかは後回しになったのは、仕方がないかもしれない。
長い目で見るなら、栄光ある池田政権のマイナス面ともいえる。(このほか、政府補償をうやむやにして原発を推進したことも・・・)

増やした以上に消費する不幸?

では、増えた収入をどう使ってきただろうか。
池田首相のころはわかりやすかった。どんどん新しいモノが出てくるから、それを買えばいい。歴史の教科書にも載っているように、カラーテレビやら自動車やら電子レンジやらを買えばよかった。飲みに行くのでも、ゴルフに行くのでもいい、「楽」になるか、「楽」しいことに使われた。

「楽」のためというより、所得増・維持に伴う「苦」を癒すための消費もっ少なくない。
たとえば、ドラァグ・クイーンのいる店、ゲイバーの高級版によく通う社長がいらした。店に入ると別の顔というか、明るく多弁になられたのを覚えている。社業はもちろん、奥様やお子様など家庭もしっかりした方だったので、日々のご苦労がしのばれた。
別の事例では、外車ばかり買う若手社長がいた。唯一の趣味に没頭することで、仕事のストレスを緩和されている様子がうかがえた。

犯罪でもない限り、何にお金を使おうがかまわない。増えた収入の分だけ、ストレスを解消するならちょうどいい。が、いかにも過剰消費な方を見ると、実にいたたまれない。仕事と消費、どちらが人生の主体なんだか、わからなくなる。
世間にお金を回していただいているとはいえ、本人は幸せなのだろうか。納得してされているのだろうか。

所得倍増じゃない幸せへ

私が、若い人々に期待するのは、『所得倍増』が当然!世代から、少しでも離れているからだ。さすがに孫以上離れると大丈夫かなと。
使う対象があるから儲ける。逆に、使う対象がなければ儲けない。シンプルに考える人が増えている気がする。「一億総中流」など、今や歴史用語にすぎない。

彼らに対して、妙なマウンティングをする年配がいようが、壁にならんと様々な場で立ち回っているつもりだ。と言いつつ、そのうち私が厄介者になるかもしれないから、気をつけねばならない。

ここから先は

0字
過去記事を全部読めます。よろしければ、ご購入願います。

SDGs的なことを書いていると思いきや、情報社会関連、大学でも教えているボランティア活動などを書き連ねます。斜め視点な政治経済文化評論も書…

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?